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旧町名 葛飾区平井中町

今回は昨年発見したものとなるが、葛飾区の旧町名「平井中町」を紹介しよう。

 

発見日  2021年8月28日

発見場所 東京都葛飾新小岩一丁目

歴史

平井村は上平井村、中平井村、下平井村が合併して成立したが、荒川放水路の開削に伴い、大正3年(1914年)に廃村。上平井・中平井・下平井の3大字のうち、上平井は奥戸村に、下平井は小松川町(現・江戸川区)にそれぞれ編入、中平井は奥戸村と小松川町に分割編入された。
奥戸村・小松川町の大字となる。

1930年(昭和5年
奥戸村が町制施行して奥戸町となる。
奥戸町の大字。

1932年(昭和7年
奥戸町、本田町、南綾瀬町、亀青村、金町、新宿町、水元村の5町2村の区域をもって葛飾区が新設された
この時、奥戸町中平井より平井中町が成立。

1943年(昭和18年)7月1日
東京府東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。
この時、葛飾区を含む35区は東京都直轄の区となった。

1966年(昭和41年)
住居表示実施により、平井中町より新小岩1、西新小岩1・2が成立し、平井中町は消滅。

 

地名の由来

葛飾区 子ども葛飾区史 第3章 地域の歴史 かつてあった地名の由来より

1966(昭和41)年までは、「平井中町」という地名がありました。現在の新小岩西新小岩の一部にあたります。また、1968(昭和43)年までは「上平井町」という地名がありました。現在の東新小岩西新小岩奥戸の一部にあたります。
 もともとは、「上平江」という地名で、約620年前の室町時代の資料に出てくる古い地名です。
 「平江」という名前は、この辺りが、入江のような地形だったことからつけられたといわれています。その後、約460年前の戦国時代に「上平井」に変わりました。

 

金子勤『東京23区の地名の由来』(幻冬舎 2016年)

「応永5年(1398年)、『平江』と見える。室町戦国時代(1467年~)には平井となる。由来は入江であったから。」

 

江戸川区史 通史編』(第1巻)
『葛西御厨注文』(1395年)という文献の中で、「下平井」という村が記載されていることが説明されている。
「下平江 平江は後に平井になった。入江であり、飲料水のくみ場であった。上平井と下平井の両村であったが後世中平井村が分村している。」と書かれている。

 

新小岩公園

高橋清作 ふれあい

「あぶない!のぼるな!」とあるが、こんな形していたら、登りたくなってしまうだろう。