本奥戸橋を渡る。
途中、対岸の右側に古い建物が見えた。
行って確認しなければと足を急ぐ。
あれ?、見覚えがある建物だった。
奥戸方面から東立石、立石に入ったことがなかったので、違う景色に見えてしまったようだ。
奥戸街道へ戻る。
見覚えのある出桁造りの建物が並んでいた。
建物の写真は載せないが、この付近を知っている人はイメージしてみてね。
イメージできない人はストリートビューで見てみよう。
そんな暇ではない?
仕方ないなあ。
今回は大サービスで、以前撮った写真を載せることにしよう。
大サービス?
ブログなのだから、写真を載せるのは当たり前だろうだって?
そうだよね。
今回撮っていなかったので、探すのが面倒だったのだ。
見つかった。
何時撮ったのかと調べてみたら2年前の2020年6月20日だった。
これらはまだ無事だった。
先日、今回の目的物である電力プレートがあるすぐ近くの立石付近を探索したばかりだった。
その時気が付いていれば、二度手間にならなかったのだ。
しかし、地図にはマークをしていたのだが、前回の探索範囲が別なページだったため、このページに気が付かなかったのだ。
何と言う失態だ!
まあ、読者にとっては、そんなことどうでもいいことなので、本題へ。
「ハラ」ってどこの区?
江戸川って書いてあるから江戸川区?
はずれ。
そういう自分もこれを見ただけでは、ピンとくる旧町名が思いつかなかった。
発見日 2022年10月24日
これはモジャハウスにあり、入口付近から判断すると、誰も住んでいないような感じだったが、横の道から見てみたところ、部屋に電気がついていたので、どなたか住んでいるのだろう。
『家、ついて行ってイイですか?』に出てくれないかな。
探索しているとこのように思う家をよく見かける。
以前代々木だったか忘れたが、竹やぶハウスの方が2回ほど出ていたことがあったのを思い出した。
原町町会
この掲示板は、このモジャハウスの前にあったものだった。
公園名は漢字ではなく「はら」とひらがなだった。
はら公園
はらひよこ公園
地名の由来(葛飾区ホームページより)
江戸時代のはじめに開こんされた地域で、初めは立石村に属していましたが、その後独立し、「原村」・「中原村」となりました。
1965(昭和40)年まで「本田原町」という地名がありました。現在の東立石の一部にあたります。また、1967(昭和42)年まで「本田中原町」という地名がありました。現在の立石・青戸・四つ木の一部にあたります。
いずれも、昔、この辺りに広い野原があったことからつけられたといわれています。