歩・探・見・感

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旧町名 浦和市大字栄和字道之下

このブログでは、埼玉県の旧町名に関しては、原則「埼玉の古い地名」さんに掲載されていないものを投稿するようにしている。(すでに投稿した中には自分の手柄のように「埼玉の古い地名」さんに掲載されているものを投稿しているものもあるが・・・。しかし、事後ではあるが、掲載されているものを投稿してもいいと了承を得ている。)

 

先日新しく発見した「浦和市大字栄和」の旧町名を紹介したので、過去に撮った写真の中に「浦和市大字栄和」のものがないかとフォルダーを探してみた。
すると「北町」「西」「道之下」の3つが見つかった。

「北町」「西」は既に「埼玉の古い地名」さんに掲載されているので、今回は、掲載されていない「道之下」を紹介することにしよう。

 

発見日  2021年3月8日

発見場所 埼玉県さいたま市桜区栄和

「道之下」は「どうのした」と読む。

 

歴史

1877年(明治10年)2月3日
与野領であった千駄村と西蓮寺村が合併し足立郡栄和村となる。

1879年(明治12年)3月17日
郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。

1889年(明治22年
町村制施行に平行して南元宿、西堀、関、鹿手袋、田嶋(田島)、新開、道場、与野領町谷、栄和、中嶋(中島)、山窪(山久保)の十一村が合併して土合村が誕生、大字栄和となった。

1955年(昭和30年)
北足立郡土合村が大久保村とともに浦和市編入し、浦和市土合村大字栄和となった。

1985年(昭和60年)
住居表示実施により道之下は栄和三・四丁目となり、消滅。

2001年(平成13年)5月1日
浦和市が大宮市・与野市と合併しさいたま市となり、栄和さいたま市の町丁となった。

2003年(平成15年)4月1日
さいたま市政令指定都市に移行し、栄和さいたま市桜区の町丁となった。