この日の最終目的地は、さいたま市西区西遊馬にある馬宮公民館にしていた。
何故かというと、そこに馬宮村の道路元標があるはずだからだ。
調べてみると自宅からそこまで徒歩で行くと2時間強かかることがわかった。
自転車で行くか?
でも、2時間か、いつも歩いているし、歩いていこう。
いろいろ寄り道しながら行ったので、結局着いたのは4時間後だった。
自転車で行けばよかったと思う場面もいくつかあったが、ご褒美があったので、徒歩が正解だったということにしておこう。
ここまでの流れだと、今回紹介するのは、馬宮村の道路元標だと思うかもしれないが、タイトルにもあるように、探索途中で発見した旧町名だ。
自転車で探索していたら、発見できなかったかもしれない。
さいたま市内で久しぶりに浦和市時代の旧町名を発見したのだった。(たぶん・・・)
発見日 2022年12月19日
歴史
1877年(明治10年)2月3日
与野領であった千駄村と西蓮寺村が合併し足立郡栄和村となる。
1879年(明治12年)3月17日
郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。
1889年(明治22年)
町村制施行に平行して南元宿、西堀、関、鹿手袋、田嶋(田島)、新開、道場、与野領町谷、栄和、中嶋(中島)、山窪(山久保)の十一村が合併して土合村が誕生、大字栄和となった。
1955年(昭和30年)
北足立郡土合村が大久保村とともに浦和市へ編入し、浦和市土合村大字栄和となった。
1985年(昭和60年)
住居表示実施により糀ヶ谷戸は栄和一・二丁目となり、消滅。