随分前に発見したものだが、まだ未紹介だった。
に続いて3枚目となる。
発見日 2020年12月29日
発見場所 埼玉県さいたま市桜区大字白鍬
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡植田谷領に属する白鍬村で、古くは南北朝期(応安2年)頃より見出せる「しらくハ」であった。白鍬は正保年間の『武蔵国田園簿』では白桑とも書かれた。
幕末時点では足立郡白鍬村であった。
1871年(明治4年)11月13日
第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
1879年(明治12年)3月17日
郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、北足立郡白鍬村は北足立郡上大久保村・下大久保村・五関村・植田谷領領家村・植田谷領在家村・宿村・塚本村・神田村・植田谷本村新田の一部と合併し、大久保村になり、大久保村の大字白鍬となる。
1955年(昭和30年)1月1日
大久保村が土合村とともに浦和市へ編入され、浦和市の大字となる。
1962年(昭和37年)
大字白鍬の一部を与野市へ編入し、与野市大字八王子・円阿弥を大字白鍬に編入する。
2001年(平成13年)5月1日
浦和市が大宮市、与野市と合併しさいたま市となり、さいたま市の大字となる。
2003年(平成15年)4月1日
さいたま市が政令指定都市へ移行し、さいたま市桜区の大字となる。
大久保村が廃止されたのは戦後の1955年であるが、発見した表札は戦前からあった可能性がある。
谷田村と木崎村が消滅したのが1932年(昭和7年)4月1日なので、旧浦和市で発見した3枚の北足立郡の表札の中では、これが一番新しいものかもしれない。