歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

埼玉県加須市で発見した電力プレート

昨年、埼玉県再訪問ツアーを実施した。

前日、どこか行くところないかなーと埼玉県の地図を見ていたところ、加須市が再訪問ツアーから漏れていたことが判明した。

前回はいつ訪問したのだろう?

調べたところ、約3年前であった。

3年前に訪問した時は、古民家が中心で、まだ旧町名や電力プレートに関心がなかった頃だったので、見向きもしなかった。今回再訪問したところ、見覚えのある建物で電力プレートを発見することが出来た。

 

①カゾシモ-10

発見日  2023年1月19日

発見場所 埼玉県加須市本町

「カゾシモ」は「加須下」?

旧町名にも小字名にも現町名にもないようだ。

ということは通称町名なのかもしれない。

 

②ライハ-3

発見日  2023年1月19日

発見場所 埼玉県加須市土手一丁目

「ライハ」?

そんな町名あったのか?

漢字が全然思いつかない。

 

しばらくたってからである。

歩いているとバス停があった。

通り過ぎる。

あれ!

引き返す。

「礼羽」の文字があった。

こういう字を書くのか。

どこかで見た記憶がある。

それは街灯に貼られていた商店会の名前だった。

「礼羽」は加須駅の南口方面に現存している町名なので、旧町名ではなかった。

 

地名の由来

この地に居館していた礼羽次郎という武士の名から起こったという説もあるが、水平で低い土地を意味するアイヌ語の“ライパ”から付けられたとする説もある。

 

礼羽425付近の畑の脇に「伝承 礼羽館」の標柱があるらしい。

吾妻鏡」によると建保元年(1213)5月2日に和田義盛が挙兵し鎌倉幕府を襲撃しました。その際、義盛の3男義秀の乱入を防ごうとして義秀に討たれた武士の中に礼羽氏の礼羽蓬乗の名がみえます。礼羽には番場、早道場、沖坊など礼羽氏に関する地名がみられます。このあたりは礼羽氏の館があったところと古くから言い伝えられています。礼羽氏が館を構えたのでその地名がついたのか、地名をとってその姓にしたのかは不明ですが、礼羽氏とこの地は深い関わりがあります。
平成元年3月   加須市教育委員会

 

加須市の歴史

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、北埼玉郡加須町・久下村が合併し、加須町となる。久下村は加須町の大字となる。
町村制施行により、礼羽村、馬内村が合併し北埼玉郡羽村が成立する。

1954年(昭和29年)5月3日
北埼玉郡加須町・不動岡町・三俣村・礼羽村大桑村・水深村・樋遣川村・志多見村が合併し市制施行、加須市となる。

2010年(平成22年)3月23日
(旧)加須市北埼玉郡騎西町大利根町・北川辺町と新設合併し、新たに加須市となる。