設置されている所在地は分かっていた。
「7-10」はどこだ。
道路を渡って、探すがすぐに見つからず、日本橋人形町一丁目7番を一周してしまった。
あっ、あった!
と思ったら、老夫婦がパンプレット片手にこの碑を見ていた。
早くどいてくれないかなあ。
発見日 2023年2月18日
所在地 中央区日本橋人形町一ー七ー一〇
谷崎潤一郎(一八八六~一九六五)は、明治十九年七月二十四日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。
同二十五年、阪本尋常高等小学校に入学しました。その後、父の事業の失敗により、近くを転々としました。若くして文筆にすぐれ、東京帝国大学国文科を家庭の事情で中退したのち、第二次『新思潮』の同人となり、『刺青』、『少年』など耽美と背徳の世界を華麗に描いて、文芸界で名を成しました。
のち、日本的な伝統美に傾倒し、『蓼喰ふ虫』、『春琴抄』、『細雪』、『少将滋幹の母』などを遺しています。その間、昭和十二年、芸術院会員に推され、同二十四年には文化勲章を受章しました。
平成七年三月
谷崎潤一郎生誕の地の碑を見に来たのだが、目的は下記のものである。
そう、彫られている旧町名だ。
蛎殻町については、下記の記事に書いているので、詳細は省略する。