歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機「浜離宮前踏切」

次の目的地に向かうため、歩いていると桜の説明板があったが、まだ花が咲く季節には早すぎた。

荘川

この桜は、 岐阜県荘川村 (現: 高山市)の御母衣ダム湖畔に移植された「荘川桜」の実生から育てた二世桜です。「荘川桜」は昭和35年、J-POWER (電源開発株式会社)の御母衣 ダム建設によって湖底に沈む運命にあった樹齢400余年のアズマヒガンの巨桜2本を、高碕達之助 初代J-POWER 総裁が、ふるさとを失う人々の心のよすがにとの思いから移植を発案し、多くの関係者の協力を得て世界の植樹史上例を見ない大移植を行ない、奇跡的に活着を果たしたものです。 移植後も、J-POWERが荘川桜の手入れを行っており、 毎年見事な花を咲かせています。荘川桜の物語は今も人々の心に感動を与え、二世桜の植樹は全国に広がっています。この二世桜は、荘川桜移植50周年を記念して、2010年に 植樹されました。

 

咲いている花は説明板の後ろに植えられている梅

 

千代橋付近のカワヅザクラ

こちらは満開だった。

 

いつものように、というか、道を間違えため遠回りをしてしまい、ようやくというほどもないが、目的地に着いた。

 

発見日  2023年2月24日

発見場所 東京都中央区銀座八丁目

誰も歩いていないように見えるが、近くにベルサール汐留、朝日新聞社、東京国税局があり、思ったより人通りがあったため、人がいなくなる時を狙って撮った。
これでも結構粘ったのだ。

くっついていた鉄の板のようなものを撮ってみた。

現地では真っ黒で何も書いていないと思っていたが、帰ってから写真をよく見てみたところ、上の方に「浜離宮前踏切」ではなく「離宮前踏切」と書いてあるように見える。

 

説明板は新しいものに変わっていた。
当初設置時から時が経過して文字が読みにくくなったため、2019年11月再設置したそうだ。

 

浜離宮前踏切 說明

所在地 中央区銀座八丁目21番1号先

この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987) 1月 31日までの56年間、 国鉄汐留駅東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望によ り、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。

昭和62年(1987)12月

 

「踏切信号機」とあるが、「踏切警報機」が正しいようだ。

上の黒い看板を目を凝らして良く見てみると「踏切警報機」と書かれている。

 

保存理由

 元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架かっていました。
 汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914年)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運送のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
 都民の暮らしの台所を支えてきたこの信号機を、国鉄廃止に当たり捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。

昭和62年(1987年)12月  

 銀座八丁目町会
 銀座御門通り会
 銀座金春通り会

再設置された説明板には「銀座八丁目町会」が追加されていた。