歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

新幸橋跡碑 東京都中央区

今回の主人公は信号の右下に佇んでいるものである。

この写真を撮るためにずいぶん待った。

交差点だからか、思ったより人通り、車通りがあり、日差しが強い中、辛抱強く待ち続けた。

発見日  2022年9月10日

発見場所 東京都中央区銀座8丁目

千代田区から中央区に向かう途中で出会った。

この道は歩いたことがないのかもしれない。

突然、こんなところに現れたのだった。

最初は隣接する店の石柱か何かだと思った。

撤去されず良く残っていてくれたものだ。

 

 

正面

国会通りがJR山手線・京浜東北線東海道線をくぐるガード(内幸橋架道橋)の東側の銀座コリドー通りの交差点付近にある。

江戸時代・明治時代年間までは、新橋から山下橋間には橋はなかったのだが、大正12年関東大震災で、銀座側から日比谷公園方面に逃げようとして逃げることができず、被害を大きくしてしまったことを反省し、1929年(昭和4年)9月、地元の篤志家・藤平久太郎(ふじひら・きゅうたろう)らの私費と企業からの寄付で外濠に架けられた民間の橋だ。
開橋式を祝い、渡り初めを挙行したのち、東京市にこの橋を寄付した。
1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催決定を機に、外濠川の埋め立てが行われ、コリドー街の建設された1956年(昭和31年)11月に新幸橋は撤去された。

 

右側面

寄贈した旨が刻まれれている。

鑑大正十二年之惨禍仰有志醵金架橋梁
于此處以寄贈東京市永資公共安全

読み下すとおおよそ次の通りになるそうだ。

大正十二年の惨禍に鑑み、有志醵金を仰ぎ、此のところに橋梁を架け、東京府に寄贈するを以て、永く公共の安全に資する
  昭和 四年 十月       

         荘司岩三郎
         藤平久太郎

 

左側面

東京市に新幸橋を寄贈した篤志家と寄付をよせた企業名が刻まれている。

読み取れたのは以下の通りだが、誤字があるかもしれない

上段
仁壽生命保険株式會社   
日本勧業銀行       
大阪ビルヂング
東洋拓殖株式會社
東京電燈株式會社     
立憲政友會        
帝国火災保険株式會社   
先年銀行新橋支店     

下段
増島大一郎
太平生命保険株式會社
ビルヂング
第一銀行日比谷支店
住友銀行内幸町支店
川崎第百銀行日比谷支店
新聞聯會社

 

かつてもう一つの新幸橋があった。
明治以降、汐留川と呼ばれたほうの外濠にも新シ橋(アタラシバシ)と幸橋の間に新幸橋という名の橋が架けられていた。
1892年(明治25年)日比谷通りができた時に架橋され、明治の末、汐留川が埋め立てられた際に撤去された。