2023年4月11日、NHK放送博物館を見学後、お隣の愛宕神社へ。
以前愛宕山の三角点については以下の記事で紹介したことがある。
その時は池の中にあるはずの三角点を確認することができなかったので、今回は見れるかなと思い、池のそばに寄ってみた。
境内整備工事中だった。
工事の内容は、弁財天社改修、休憩所移設、お末社前空間整備、裏参道整備、本殿前参道整備、駐車場移設などとなっている。
こんな案内が出ていた。
どこかにある養鯉所にバカンスに行ったらしい。
池の水がほとんど抜かれていた。
水たまりがあるが、そこにはオタマジャクシがいるらしい。
工事関係者のおじさんがのぞき込み気持ち悪がっていた。
ここに日本最古の三角点があるはずなのだが、どこにあるんだ?
手前のブルーシートが被され、ひもで縛られているものがそれなのか?
結構大きいものにみえる。
こんな大きいものなのか?
確証を持てないまま、「女坂」(107段)を降りて帰途に着く。
「女坂」は初めて降りるが、思ったより急だった。
出世の石段「男坂」は非常に急な階段で有名なので、ご存じの方も多いことだろう。
えっ!知らない?
では、写真だと急な階段に見えないかもしれないが、一応載せておこう。
石段の数86段。 傾斜角度は約40度。 一段の高さが20cm強。
「出世の石段」のいわれ
愛宕神社正面の石段「男坂」(となりの緩やかな石段は 「女坂」)は別 名「出世の石段」と呼ばれ、その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の 人曲垣平九郎 (まがきへいくろう)の故事にちなみます。
時は寛永十一年。
三代将軍 徳川家光公が芝増上寺ご参詣の帰り道神社に咲き誇る源平の梅の馥郁たる香りに誘われて山頂を見上げて 「誰か騎馬にてあの 梅を取って参れ」と命ぜられました。 しかし目前には急勾配な石段があり、歩いて登り降りするのにも一苦労。馬での上下など、とてもとて も・・・と家臣たちは皆一様に下を向くばかり。
誰一人名乗りでる者はおりません。家光公のご機嫌が損なわれそうなその時!一人の武士が愛馬の手綱をとり果敢にも石段を上り始めました。
「あの者は誰じゃ?」と近習の臣に家光公からお尋ねがあっても誰も答える者はおりません。その内に平九郎は無事に山の上にたどり着き愛宕様に 「国家安泰」「武運長久」を祈り、梅の枝を手折って降りてきました。
早速家光公にその梅を献上すると「そちの名は?」「四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎にございます」「この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれ。日本一の馬術の名人である。」と褒め讃えられました。
一夜にして平九郎の名は全国にとどろき出世をした故事にちなみ 「出世 の石段」と呼ばれるようになり、現代においても多くの皆様にご信仰を頂いております。
神社では石段を馬で上下した方の絵を見る事が出来ます。また、平九郎が手折ったとされる梅の木は社殿左側にあり今も花を咲かせております。 東京都心とは思えない緑あふれる自然の山(都内二十三区で最高峰)です。どうぞご参拝下さい。
三角点の話に戻る。
家に帰ってから調べてみると、(一社)東京都測量設計業協会のホームページに情報が載っていた。
2023年2月4日(土)11:00~14:00に愛宕神社主催で「池の中見学会」として芝・愛宕山の池の中に現存すると考えられている「日本最古の三角点」の一般公開が行われた。神社境内の都市再生機構による整備工事にともない、池の浚渫が進められる中、複数の要望から「池の中見学会」が開催された。
標石は、大きさは上部が30㎝、下部43㎝、高さ21.5㎝で、白い石の台の上に設置された状態だった。
標石上部は平らに磨かれ、細い線が対角線状に刻まれていることが微かに確認できた。
石材は茶褐色で空隙があり、火山の噴石ではないかと考えられる。
とのことだった。
行きたかったなぁ。
撤去されてしまうそうだが、その後の行き先はどうなるのだろう?