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与野駅(与野停車場)の歴史

与野駅西口ロータリーに「与野駅(与野停車場)の歴史について」というレリーフがあり、それを見て、与野駅の歴史を辿ってみたくなった。

古くから市場の町として栄えていた与野町にも、明治三十年に新駅開設の気運が高まり、与野町長福島鍈太郎ら与野町の有志、有力者達が先頭にたち、町民が一体となった新駅開設のための運動が起こりました。
こうした全町民の念願と努力の結果、明治四十四年(一九一一年) 帝国議会において、浦和・大宮間にあった大原信号所を拡張して新駅を設置することが可決されました。
停車場の敷地面積は一町歩(約一ヘクタール)で、建築工事が着手された駅舎は、大正元年 (一九一二年) 十一 月一日に誕生し、盛大な開場式が挙行されました。
そして翌大正二年(一九一三年)三月五日には、与野本町と停車場を結ぶ駅前通りが建設されました。
このレリーフは、当時の写真を基に、大正時代の与野駅を現したものです。

平成十六年三月

 

雪の日のレリーフ(2023年2月10日)

雪に埋もれて何も見えず。

 

与野停車場線

 

 

雪が降っていた。(2023年2月10日)

現在は両側に高層マンションが立ち並んでいる。

 

与野郷土資料館の展示物に与野駅に関するものが何かあるか探してみようと思い訪問した(2023年3月21日)ところ、いくつか関連するものを発見することができた。

 

鉄道駅の開設

明治16 (1883)年7月、上野と熊谷を結ぶ日本鉄道第一区線(現在のJR高崎線の一部) が開通し、浦和停車場が設置された。 2年後には大宮停車場が開設されるが、与野はルートから外れ、 停車場の開設はなかった。大正元(1912)年11月1日、地元民の土地提供により、浦和・大宮間の大原信号所を拡張して与野停車場が誕生した。 昭和33 (1958)年には東口が開設された。

与野駅開設指令の文書 協力:国立公文書館

 

与野駅(年代不詳 / 與野みやげ絵葉書より)

明治16(1883)年7月、上野と熊谷を結ぶ日本鉄道第一区線(現在のJR高崎線の一部)が開通し、浦和停車場が設置された。2年後には大宮停車場が開設されるが、与野はルートから外れ、停車場の開設はなかった。
大正元(1912)年11月1日、地元民の土地提供により、浦和・大宮間の大原信号所を拡張して与野停車場が誕生した。昭和33(1958)年には東口が開設された。

 

開設当時の与野駅(絵葉書)

駅前のレリーフはこの写真を基に再現したもののようだ。

 

与野駅はできたけど、駅舎のある住所は浦和。 ちなみに山手線の品川駅は港区。 駅あるある。

 

与野駅発車時間表

大正2(1913)年/個人蔵(さいたま市寄託)
大正2(1913)年5月21日改正の時刻表。
上下とも1時間に1本程度の停車だった。
駅舎は瓦葺の平家で、駅前には人力車が止まり、のどかな風景だった。

 

与野駅東口開通

 

与野駅前商店街

 

与野駅西口の様子

 

与野駅西口の移り変わり

 

鉄道ジオラマ

蒸気機関車1台だけしか動かないらしいが、動かしてくれた。

 

鉄道ジオラマ

昭和30年代後半の架空の町が出現。 9600形やC11形の蒸気機関車が走る。奥の通りは与野の本町通りをイメージした土蔵造りの商家が並んでいる。