与野駅東口にかつて「大原の大ケヤキ」と呼ばれていたケヤキの木があった。
以前与野駅構内を歩いていた時にその存在を知り、その時は写真を撮ったと思うが、それほど気を留めないまま、時が過ぎていた。
それが最近のことだが、調べ物をしていたところ、その痕跡が与野駅構内以外にも存在していることを知り、それを辿ってみたくなった。
今回はその記録を紹介しよう。
1.与野駅構内
訪問日 2023年1月5日
与野駅の歴史については別の記事で紹介する予定である。
この写真のケヤキ以外の風景の方が気になる。
平成22年
右の方にある道をまっすぐ進むと与野駅だ。
大原の大ケヤキ
旧所在地 さいたま市浦和区上木崎二丁目一番地先
伐採日 平成二十二年五月十九日
JR与野駅東口先中山道東側にこの巨木はあった。
幹のまわり六.一メートル、かつての樹高は三十数メートル、推定樹齢五百年以上の古樹である。今から約三百年前、この地は大原新田として開発されたため「大原の大ケヤキ」 の愛称が地元に伝えられている。
浦和宿と大宮宿の一里塚のほぼ中間にあったので「半里塚のケヤキ」と伝承される。
街道の名所で「六国見の立場茶屋」の北隣の稲荷社のご神木として村人に大切にされ、中山道を往来する人々にも親しまれ、の地のランドマークとなった。
昨年、樹勢が衰え危険があることから、別れを惜しまれながら伐された。
平成二十三年二月
古樹大ケヤキ対策委員会
2.与野駅西口駅前広場
大原の大ケヤキ後継樹が植えられている。
訪問日 2023年1月9日
3.上木崎大けやき公園
ここにも大原の大ケヤキ後継樹が植えられている。
訪問日 2023年1月5,9,17日
これかな?
3本ともそうなのかな?
説明がなくなっているのでどれかわからない。
2013年(平成25年)3月に植えられたらしいので、約10年経過していることになる。
これもケヤキ?
これはケヤキではないが、真冬なのに赤い実がたくさんなっていた。
ネットで調べていたら、さいたま市子ども家庭総合センターにモニュメントがあるという情報を発見した。
ホームページには載っていなかったから、あるのかどうかわからなかったので、訪問して聞いてみることにした。
はたして、ここにあるのだろうか?
無いのであればどこにあるのか聞いてみよう。
4.さいたま市子ども家庭総合センター
2023年1月9日にも訪問しているのだが、外から見えるところには見当たらず。
中に入ろうとしたが、祝日だったため、子供がたくさんおり、不審者に思われそうなので入口で引き返す。
訪問日 2023年1月17日
入口
施設案内図
切り株の絵がある。
ここにあるのだろうか?
この時はまだわからなかった。
総合案内にいた女性に声をかけた。
「大原の大ケヤキのモニュメントはどこにあるんですか?」
怪しいおじさんだと思われたのだろう。
「関係者の方ですか?」と聞かれた。
「違います、写真を撮らせていただきたいのですが。」
途中まで、案内してもらう。
案内図だと屋根付き運動場の向こうだが、立っているところから透けて見えた。
「あれですか?」
「そうです。終わったら声をかけてください。」
そこからは一人で行く。
このエリアは通常の入口からは入れないようだ。
写真だと伝わりにくいが、
でかい!
それが第一印象だ。
寸法 幅 220 ×奥行 205 ×高さ200 cm
重量 約 2.5 トン
加工する前は幅 240 ×奥行 270 ×高さ 220 cmだったそうだ。
正面
う~ん。
何と表現したらいいのだろう。
ちょっと怖い感じもする。
左斜め前から
右側面
この面はあまり加工がされていないようだ。
裏側
裏面上から
裏側から左側面を撮る
裏側から右側面を撮る
風の記憶
制作者: 埼玉大学名誉教授 本田 貴侶
与野駅東口、旧中山道にあった推定樹齢500年の大原の大ケヤキが倒木の恐れがあり平成22年5月19日に伐採されました。
地域の人々に愛され親しまれた大ケヤキを未来へ残すため、彫刻家・本田貴侶氏によって記念造形作品/風の記憶が作成されました。
作品は西高通り古樹ケヤキ対策委員会のご協力をいただき、施設の建設前に子ども家庭総合センターの敷地内 (旧大原臨時グラウンド内) にて公開制作が行われました。
さいたま市子ども家庭総合センター
本田貴侶さん自身が携わった記録が残っている。
<実践記録> 大原大ケヤキ再生造形 地域のアート
さいたま市図書館が発行している下記に「大原の大ケヤキ」のことが掲載されている。さいたま来ぶらり通信 14号 2010年11月15日発行
さいたま来ぶらり通信 17号 2011年11月15日発行