歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

祝田町見張所と二重橋

皇居は何回も訪れているが、大体は通り過ぎるだけで、写真はあまり撮っていなかった。

この建物も視界に入っていたと思うのだが、気に留めることはなかった。

この日は、なぜかこの建物が気になり近づいて見た。

プレートを初めて見た。

何と「警視庁丸の内警察署祝田町見張所」と旧町名である「祝田町」と書かれているではないか!

「今頃知ったの、アナタ遅いね。」と言われるだろうが、ソノトオリダ。

 

訪問日  2023年5月24、25日

訪問場所 東京都千代田区皇居外苑

 

警視庁丸の内警察署祝田町見張所

丸い銅板屋根を被ったお洒落な石造り。

竣工年は不明だが、終戦時の皇居前広場を撮った写真にも出てくることから戦前に建築されたものと思われる。

 

プレートも古そうだが、警視庁丸の内警察署と書かれていて、左書きなので、戦後に設置された物だろう。

 

他の見張所の名称はどうなっているんだろうと気になり、見てみる。

こちらは門の名前が付けられていた。

 

桔梗門にある見張所を確認しようとしたのだが、警察官が手を前に出して、ストップをしているので近寄れず、はっきりと確認できなかったのだが、こちらも門の名前が書かれていたようだ。

 

この日(2023年5月24日)は帰りを急いでいたので、あまり写真を撮らなかった。
翌日(2023年5月24日)再訪し、ゆっくりと写真を撮る。

 

カラフルな服を着た外国人さんが歩いてた。

 

祝田町見張所と二重橋

前日は警察官がすぐ横にいたのだが、この日は離れた場所で警備していたので、気にせず撮れた。

 

地名の由来

江戸城馬場先門内の幕府役屋敷のあった二ノ曲輪(にのくるわ)内で、町名は太田道灌による江戸城築城前には「祝田村」と称していたという伝承に因む。

 

歴史

1872(明治5)年
旧村名を採って町として成立。

1878(明治11)年11月2日
東京府麹町区に所属。

1889(明治22)年5月1日
東京府東京市麹町区に所属。

1943(昭和18)年7月1日
東京都麹町区に所属。

1947(昭和22)年3月15日
東京都千代田区に所属。

1967(昭和42)年4月1日
住居表示の実施により、宝田町、元千代田町と合併し、皇居外苑となり消滅。

 

「祝田」の地名は橋名と交差点名に残っている。

 

祝田橋と祝田交差点

 

折角なので、二重橋も撮っておくことにした。

 

同じような写真が続くがご容赦を。

よく見ていただくと若干アングルが異なっている。

 

正門石橋

一番下は24日撮ったもの。雲がない快晴だった。

右奥に見えるのは伏見櫓。

 

正門

門の上の雲が立ち登っているように見える。

 

正門鉄橋

 

正門と二重橋

ここは、皇居の正門に当たります。手前に見える橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」です。後方に、現存する数少ない江戸城の櫓の一つである伏見櫓が見え、その右手には、樹木に隠れて見えませんが、宮殿があります。

正門鉄橋は、かつては木橋で、その下に橋桁を支えるもう一つの橋があったため、二重に架けられた橋という意味で「二重橋」と呼ばれます。

しかし、正門石橋と正門鉄橋の二つの橋を総称して「二重橋」と呼ぶ人も少なくありません。

これらの橋は、天皇陛下が国会開会式などのため外出される際や、外国の君主、大統領、大使来訪などの特別な場合のみ使用されますが、新年や天皇誕生日一般参賀では一般の方々も渡ることができます。正門石橋と正門鉄橋が重なり、その奥に伏見櫓が見える皇居外苑からの眺めは皇居を象徴する景色として親しまれています。

明治時代初期の二重橋