歩・探・見・感

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旧町名「浅草田島町」

2023年6月12日、小雨の中、かっぱ橋道具街を歩いていた。

 

馬嶋屋菓子道具店という店舗があった。

家に帰ってから知ったことだが、テレビや雑誌の取材で有名な店らしい。

右奥に見えるのは、店舗中央の吹き抜けにそびえたつ3000点以上ものクッキー型が飾られたクッキータワー(クッキー型タワー)の一部。

 

店の前に看板があった。

ところどころに錆らしきものが見えるので、古いものかもしれない。

 

その住所に旧町名である「浅草田島町」と書かれているのを見て、興奮してしまった。

合羽橋電車通菊屋橋下車とあるのも気になったので、歴史を調べてみた。

かっぱ橋道具街」は、大正の初めに新堀川(シンボリガワ)という江戸時代に作られた川の両岸に古道具を商う人たちが店を出したことが発祥とされている。新堀川大正12年関東大震災の後に暗渠化され、その上を昭和44年まで都電が走っていたそうだ。
昭和20年の大空襲により道具街全焼するが、昭和22年には浅草合羽橋電車通商工会の組成や人々の協力によって道具街は復活を遂げていったそうだ。

ここに都電と浅草合羽橋電車通商工会が出てくる。
現在の「かっぱ橋道具街通り」はかつて「合羽橋電車通」と呼ばれ、現在の菊屋橋のバス停あたりが、都電の停留場だったのだろう。

 

旧町名由来案内

江戸時代の頃、この地は高い石垣の本願寺と路を隔てて北にあったことから、北寺町と称されていた。
明暦三年(一六五七)の大火後、神田須田町にあった誓願寺門前町とともにこの地へ移ってきた。この誓願寺は、浄土宗京都知恩院の末寺で、田島山快楽院誓願寺といったことから、明治二年に誓願寺山号にちなみ浅草田島町と称した。
明治五年、誓願寺の西辺部に接する下級武士の屋敷と北西部にある安行寺を合併し町域を広げた。

 

浅草田島町は現在の西浅草二丁目

1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、全域が西浅草二丁目に編入となり消滅した。