歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名? 京都市下京区三哲町 

2023年6月6日の早朝、まだ時は5時過ぎ、早起きし、というか、オジサンはいつも目が覚めるのが早いからなのだが、朝食の時間まで、京の街を探索することにした。

 

ホテルの窓(14階)からの早朝の眺望。

見える山々は何という山だろう?

 

下に降りるとフロントには、もう人がいて、海外の観光客もちらほらいた。

 

フロントにあったディスプレイ

紫陽花の花がきれいだった。

 

以前訪問し忘れた駅近にある仁丹の町名表示板を探しに行く途中、気になるものを発見した。

それがこれ。

 

これがどうしたって?

単なる立入お断りの看板だ。

左端に書かれている「三哲町」に注目してほしい。

近くにあった掲示板を見ると、

東塩小路町」となっていた。

「三哲町」って何?

気になったが、何も情報を持っていなかったので、家に帰ってから調べてみることにした。

 

その名称は東西の通りの名を示す有名な歌詞「丸竹夷(まるたけえびす)」の中にあった。

 

丸 竹 夷 ニ 押 御池
姉 三 六角 蛸 錦
四 綾 仏 高 松 万 五条
雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚
六条 三哲 通り過ぎ
七条 越えれば 八 九条
十条 東寺で とどめさす

 

まるたけ えびす に おしおいけ
あねさん ろっかく たこにしき
しあやぶったか まつまん ごじょう
せった ちゃらちゃら うおのたな
ろくじょう さんてつ とおりすぎ
ひっちょう こえれば はっくじょう
じゅうじょう とうじで とどめさす

 

丸竹夷二押御池(まるたけえびすにおしおいけ)

姉三六角蛸錦(あねさんろっかくたこにしき)

四綾仏高松万五条(しあやぶったかまつまんごじょう)

雪駄ちゃらちゃら魚の棚(せったちゃらちゃらうおのたな)

六条三哲通り過ぎ(ろくじょうさんてつとおりすぎ)

七条越えれば八九条(しちじょうこえればはっくじょう)

十条東寺でとどめさす(じゅうじょうとうじでとどめさす)

 

まる・・・・・・・・・・・・丸太町通(まるたまち)
たけ・・・・・・・・・・・・竹屋町通(まるたまち)
えびす・・・・・・・・・・・夷川通(えびすがわ)
に・・・・・・・・・・・・・二条通
おし・・・・・・・・・・・・押小路通(おしこうじ)
おいけ・・・・・・・・・・・御池通(おいけ)
あね・・・・・・・・・・・・姉小路通(あねやこうじ)
さん・・・・・・・・・・・・三条通
ろっかく・・・・・・・・・・六角通(ろっかく)
たこ・・・・・・・・・・・・蛸薬師通(たこやくし)
にしき・・・・・・・・・・・錦小路通(にしきこうじ)
し・・・・・・・・・・・・・四条通
あや・・・・・・・・・・・・綾小路通(あやのこうじ)
ぶっ・・・・・・・・・・・・仏光寺通(ぶっこうじ)
たか・・・・・・・・・・・・高辻通(たかつじ)
まつ・・・・・・・・・・・・松原通(まつばら)
まん・・・・・・・・・・・・万寿寺通(まんじゅじ)
ごじょう・・・・・・・・・・五条通
せった・・・・・・・・・・・雪駄屋町通(せったやまち)(現楊梅通
ちゃらちゃら・・・・・・・・鍵屋町通(かぎやまち)(現的場通)
  「ちゃらちゃら」は鍵屋が並び、鍵が触れ合う擬音を歌ったとされている。
うおのたな・・・・・・・・・魚の棚通(うおのたな)(現六条通
ろくじょう・・・・・・・・・六条通
さんてつ(とおりすぎ)・・・三哲通(さんてつ)(現塩小路通
ひっちょう(こえれば)・・・七条通
はっ・・・・・・・・・・・・八条通
くじょう・・・・・・・・・・九条通
じゅうじょう・・・・・・・・十条通
とうじ(でとどめさす)・・・東寺(通り名ではない)

通りの順番が異なっていたり、一部歌われていない通りがある。六条通の次が三哲通塩小路通)だが、実際の塩小路通七条通と八条通の間にあり、花屋町通、上数珠屋町通、下数珠屋町通など、いくつかの通り名が抜けている。

「丸竹夷」の歌についても調べればいろいろ面白そうであるが、本題とはずれるので、この辺で。

 

それでは、話を「三哲町」に戻そう。

「三哲」については『京菓子處 鼓月』の 「京ことば通信」 の2005年12月号の「京ことば 『さんてつ』 相馬 大」として

「いま、三哲と呼ぶこと、この通り、大宮東入る町、北側に、渋川三哲と言ひし人の屋敷ありし故」(京町鑑)とある。三哲は、その屋敷を、立願寺(りゅうがんじ)という寺にした。古地図の立願寺をみると、三哲が、見える。」

と書かれていたそうなので、鼓月のホームページを探してみたが、見ることはできなくなってしまったようだ。(見つけられないだけかもしれないが・・・。)

※『京町鑑』は宝暦12年(1762)に刊行された京の町の案内記。

京町鑑で「立願寺」と書かれているのは「龍岸寺」のことことで、元和2年(1616)頃、僧・三哲(安井算哲)によって創建されたと伝わっている。三哲(安井算哲)の息子は、江戸幕府の初代天文方を務めたという渋川春海(算哲)で、その渋川春海(算哲)の屋敷跡に、寺が整備されたのが始まりとされている。

三哲通の三哲は「龍岸寺」を開山した父の三哲(安井算哲)とする説と息子の三哲(算哲)と呼ばれた渋川春海の邸宅があったことに由来する説があるが、どちらなのだろうか?

諸説あるというのはよくあることだ。

龍岸寺は開山した父の三哲とする説を唱えている。

 

以前は「三哲」というJRのバス停があったそうだが、2020年3月に行われたダイヤ改正でJRバスと市バスの連携が始まり、その一環として、JRバスのバス停も「下京区総合庁舎前」に変更されることになり、「三哲」という名はバス停からも消えてしまった。

 

「三哲町」も「三哲通」も消滅してしまっているので、旧町名扱いとしていいと思うのだが、自信がないので、タイトルには「?」を付けたままにしておこう。

上の掲示板の住所「下京区西洞院通塩小路下る東塩小路町」は、旧町名で表すと「下京区西洞院通三哲下る三哲町」になるのかな?

京都市には旧町名がないと思っていたが、このようなものがまだ他にもあるかもしれない。今度、京都市を訪問することがあったら、探してみよう。