歩・探・見・感

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岩槻まちめぐり 岩槻古城八景

さいたま市ホームページより

(令和2年11月2日記者発表)岩槻区市宿通り~久保宿通りのトランスボックス(配電用地上機器)にラッピングを装飾しました

岩槻区市宿通り~久保宿通りに設置されている歩道上のトランスボックス(配電用地上機器)12基に、「岩槻古城八景」と各「岩槻古城八景」の光景を詠んだ和歌等をラッピング装飾しました。

1 目的
 「城下町岩槻」としてのにぎわいを創出するとともに、観光案内サインを含めて掲載することにより観光客の利便性及び回遊性の向上を目指して設置しています。

2 設置場所
  さいたま市岩槻区本町3丁目16番先外(市宿通り~久保宿通り)

3 題材
  題材:「岩槻古城八景」
  「岩槻古城八景」は、明治時代に旧岩槻藩士らによって往古の岩槻城の姿を残そうと、「近江八景」になぞらえて制作されたものと言われており、9枚の絵が現存しています。
また、各ラッピングに掲載している和歌は、「岩槻古城八景歌集」に集められた和歌であり、各「岩槻古城八景」の光景を詠んだ和歌となります。ラッピングに掲載しているQRコードにより、市ホームページで他の和歌も閲覧することができます。

4 設置内容
    (1) 「岩槻古城八景」のラッピング   9基
       (2) 「岩槻古城八景」の紹介ラッピング 3基

5  設置日
      令和2年10月27日(火)

 

訪問日 2023年5月1、2、4日

帰ってから撮った写真を見たところ、うまく撮れていないのもあったりして、延べ3日間かけて撮ってきた。

「岩槻古城八景」の紹介ラッピング

①城口晩鐘(しろぐちのばんしょう)

きく人も淋しくぞ思ふ
  夕ぐれを
猶しのとや城口の鐘
       花友
岩槻に過ぎたるものと呼ばれた 「時の鐘」 周辺の光景を描いたものである。和歌からは武士の世が終わり、人の通行が減っている状況が窺える。
秋ごろに、夕暮れの鐘の音と相まって、ものさびしい風情がただよっている。

②鵜首夕照(うのくびのせきしょう)

夕景の紅葉の中に
  鵜首の
西の矢倉ぞてりまさりける
          児笑
「鵜首夕照」は大手門付近を描く構図となっており、三日月堀や茅小屋なども見える。
秋の日に、大手門付近が紅葉で見栄えのする光景を描いたものである。

米蔵落雁(こめぐらのらくがん)

そのかみの貢忘ず
  今も尚
雁落ち来ぬる米蔵のあと
        千代住
米蔵落雁」は岩槻城にある「城米蔵」付近を 描く構図となっており、役割を終えた城米蔵の跡に、その名残から雁が集まっている光景を描いたものである。

④高台秋月(こうだいのしゅうげつ)

彼れの森此の林を
  見下して
ちかく覚ゆる高台の月
        児笑
「高台秋月」は三の丸(=高台)と月、そして右に新曲輪と諏訪神社、これらを描いた構図になっている。
三の丸は武家屋敷地でもあり、それらの屋敷が見える。

⑤車橋晴嵐くるまばしのせいらん)

一点の雲を嵐の
  ふきはらひ
あと昇る月の照る車橋
        児笑
「車橋晴嵐」は二の丸と三の丸を繋ぐ車橋付近の光景を描いたものである。
この付近を吹き抜ける嵐のような強い風が思い浮かぶ構図となっている。

⑥樹木郭夜雨(じゅもくくるわのやう)

茂り合ふ木の下道の
  くらき上を
又ふり来ぬる夜半の雨哉
         本也
「樹木郭夜雨」は三の丸武具蔵付近から樹木曲輪周辺を描いたものである。
和歌で詠われるように樹木曲輪には杉林が生い茂っていて、雨が降る光景が淋しさを増している。

⑦船入口帰帆(ふないりぐちのきはん)


帰り来る千舟は片帆
  おろしつつ
おくる浪こそ船入のくち
         児笑
「船入口帰帆」は岩槻城をバック にして、元荒川を行き交う高瀬舟と「白鶴城」とも呼ばれた水辺に浮かぶ岩槻城の光景を描いたものである。本丸部分にある「船入口」も中央左に描かれている。

⑧茶屋台暮雪(ちゃやだいのぼせつ)


飼にうゆる狐なくなる
  雪の日に
夕日まばゆく照れる茶や台
          児笑
終日雪が降り、御茶屋曲輪は一面雪景色となっている。時間帯は夕暮れであり、夕日が雪景色に生える様を描いたものである。

⑨二本の杉(にほんのすぎ)

幾とせか今も緑
  繁り谷びて
みらにそびゆ二本の杉
        友呼
二の丸にあった「二本の杉」周辺の光景を描いたものである。すでに存在しない「二本の杉」について「箸立杉」の伝承から、築城時から幕末までの武士の世の中のことについて思いをはせている。

 

岩槻城址公民館に展示されていた。

岩槻古城八景
明治一八・一九年(一八八五・一八八六)頃成立
江戸時代の岩槻城は、藩の中心地として多くの人が集い、その周辺は城下町として、また日光御成道の宿場町として栄えていた。し かし、明治維新を経て、明治一〇年代頃には、岩槻城周辺では道路整備や土地利用が進められ、急速にそれまでの風景が失われつつあった。
こうした中で、それ以前の風景を絵画や歌集として残そうとした旧岩槻藩士の平野糸丸と児玉本也等によって、岩槻古城八景が企画され、 岩槻城周辺を俯瞰的に描いた絵画資料「岩槻古城八景」、和歌一六〇首で構成される「岩槻古城八景歌集」が制作された。いずれも江戸時代 から明治時代初期の岩槻城周辺の様子を伝える貴重な資料である。

 

順番がバラバラに展示されていた。

 

こちらは順番通りだった。