さいたま市ホームページより
(令和3年11月2日記者発表)岩槻区市宿通り~久保宿通りのトランスボックス(配電用地上機器)に日光道中絵図のラッピングを装飾しました。
岩槻区市宿通り~久保宿通りに設置されている歩道上のトランスボックス(配電用地上機器)5基に、「日光道中絵図」をラッピング装飾しました。
「城下町岩槻」としてのにぎわいを創出するとともに、観光案内サインを含めて掲載することにより観光客の利便性及び回遊性の向上を目指して設置しています。
1 設置日
令和3年10月25日(月)
2 設置場所
さいたま市岩槻区本町1丁目16番先外
(市宿通り~久保宿通り)
3 題材
題材「日光道中絵図」
天保14年(1843)4月の徳川12代将軍家慶の日光社参の行程を示した道中図です。
絵図には、関所・一里塚・郡境・国境のほか、村名ごとに領主の記載があるほか、
街道を往来する人々の姿や沿道の風景が細かな筆で描かれています。
初日の宿泊地の岩槻城が地図に書き込まれており、その岩槻城周辺部分を今回ラッピング装飾しました。
4 設置内容
「日光道中絵図」のラッピング 5基
訪問日 2023年5月1、2、4日
観光案内所に設置場所が書かれた地図があったので、それを頼りに探してみた。
同じ通り沿いにあるので、探すというほどのことはないのだが、道の反対側にあったりするものもあるので、道路の横断が少し面倒。
帰ってから撮った写真を見たところ、うまく撮れていないのもあったりして、延べ3日間もかけて撮ってきた。
さいたま市のホームページには、『「城下町岩槻」としてのにぎわいを創出するとともに、観光案内サインを含めて掲載することにより観光客の利便性及び回遊性の向上を目指して設置しています。』と書いてある。これが、にぎわいを創出するとか観光客の利便性及び回遊性の向上につながるのかなと思うが、いくつかの観光地などで実施されているトランスボックスにラッピングするという試みは評価できる。
ホームページにはそれぞれの解説は見当たらなかったので、自分は、ひとつひとつ写真を撮って、そこに書いてある内容の文字起こしをするなんていうことを考えた。こんなことを考えて実行する暇人は、自分位かもしれないが、それが当ブログの変態的なところ、いや特徴的なところである。
①加倉口・市宿町
天保14年(1843)4月の徳川12代将軍の日光社参の行程を示した道中図です。4月13日に江戸城を出発し、13日岩槻、14日古河、15日宇都宮に宿泊しています。岩淵から鳩ヶ谷を経て岩槻までは日光御成街道を、幸手から宇都宮を経て日光までは日光街道をたどっています。 岩槻・古河・宇都宮の宿泊地などが記されています。絵図には、関所・一里塚・郡境・国境のほか、村名ごとに領主の記載があるほか、街道を往来する人々の姿や沿道の風景が細かな筆で描かれています。初日の宿泊地の岩槻城が、地図に書き込まれています。
【 八雲神社】
永禄3年(1560)に市を開設したときに、これを守護する市神として祀られました。かつては、日光御成道の中央にありましたが、明治時代に現在の位置に移されました。
【市宿町】
市宿町は、町の入口にあり市が開かれ穀物や名産の岩槻木綿も取引されていました。
【市宿口(加倉口)跡】
岩槻城下の出入口の一つで、門と番所がありました。現在の加倉一丁目の児童センター入口交差点付近です。
②横町・久保宿町
【横町】
横町は、中央部を日光御成道下道が通過し、南端には横町口門があり、付近は城郭の名残を示す「桝形」とよばれています。
【久保宿町】
室町時代に市が開かれた由緒ある町で、町の中央を日光御成道が通っています。
【芳林寺】
岩槻城主太田資正が比企郡松山(東松山市)にあった地蔵堂を現在の地に移転させ、太田氏資(資正の子)が母・芳林妙春尼の冥福を祈るため、法号に因み芳林寺としたと伝えられています。境内には太田氏資供養塔や太田道灌騎馬像などがあります。
③本陣
【本陣】
久保宿町には本陣と脇本陣があり、通行する幕府役人等の宿泊に供していました。
明治初期には一時郡役所が置かれました。 本陣等があった場所は、現在東玉大正館付近といわれています。
【旦過口】
岩槻から、原市・騎西へ向かう出入口の一つで、木戸が設けられていました。
木戸の外には庚申塔があり、現存しています。
④一里塚・時の鐘
【時の鐘】
寛文11年(1671) 岩槻城主阿部正春が設置した県内最古の現役の「時の鐘」です。現在も一日に3回鐘が撞かれ、 岩槻区民に時を知らせています。
【一里塚】
日光御成道の両側には一里塚があり、岩槻宿の一里塚は、江戸日本橋から数えて9番目に設置されていました。大龍寺の入口付近にあり、榎が植えられていました。
【大龍寺】
江戸幕府三代将軍徳川家光の養育係を務めた岩槻城主青山忠俊により開基された寺院です。本堂裏には樹齢約400年といわれる大きなスダジイがあります。
⑤渋江口・田中口
【浄安寺】
永正2年(1505)増上寺第5世の天誉了聞上人により開山されました。境内には、岩槻
城主高力清長や藩校遷喬館の創設者児玉南柯の墓などがあります。
【岩槻城】
岩槻城は15世紀後半に築かれた城で、建物は明治時代初期に解体されました。往時の面影は「岩槻古城八景」で窺い知るることができます
【田中口門】
岩槻から、原市・桶川・幸手に向から出入口の一つで、冠木門(かぶきもん)がありました。この門には、「槍返しの門」の伝説があります。
トランスボックスには凸部分があり、種類によって、凸部分の位置が違っているようだ。凸部分のラッピングは大変そうだ。
トランスボックスの種類を調べてみた。
○PT・・・パッドマウント変圧器(pad mounted transformer)は、6600Vの高圧電気を100Vや200Vの低圧電気に変圧する装置。数字は変圧器の容量を表している。
○LS・・・低圧分岐装置(Low-voltage distribution switchgears)は、100Vや200Vの低圧電気を需要家まで送る装置。
○HS・・・高圧(多回路)開閉器(High-voltage switch)は、変電所から来た6600Vの高圧電気を複数に分岐するスイッチの役割をする装置。
ボツボツがあるトランスボックス(②③⑤)とないもの(①④)があり、あるものは読みにくく文字起こしが大変だった。