歩・探・見・感

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福生砂利軌道跡地と加美上水橋

福生市玉川上水沿いを散策していたら、特に目的地としていた訳ではないが、加美上水橋(かみじょうすいばし)へたどり着いた。

訪問日 2023年8月28、29日

橋の手前に「福生砂利軌道跡地」の説明板があった。

福生市登録史跡 登録第七十四号
所在地     福生市大字福生五〇二二番地・五〇二三番地(加美上水橋上)
登録年月日   令和元年十二月十七日

福生砂利線軌道跡地は、青梅鉄道福生支線として大正10年(1921)、昭和2年(1927)の二期にわたり整備された跡地です。この軌道はかに坂公園付近で南東にカーブし、加美上水橋を経由して福生駅にいたる軌道を描いていました。当初は蒸気機関を動力とした鉄道でしたが、後に電化されたことが現存する資料から確認できます。
 この砂利線軌道は既に廃止され、軌条、架線も撤去されています。しかし、線路敷が一部現存し、道路用地として使用されており、これらを辿ることでその面影をみることができます。その中でも青梅鉄道福生支線の一部として昭和2年(1927)2月に整備された加美上水橋は、橋梁が往時の福生砂利線軌道を想起させる幅員や眺望をとどめています。こうしたことから、福生砂利線軌道跡地は多摩川の砂利線採取の歴史を証するものとして、福生市登録文化財(史跡)として登録されました。

へぇ~、こんなところに線路があったのか。
と説明板を読んで、思いをはせていたところ、水を差すように、またどうでもいいことに気が付く。
説明板のタイトルは「福生砂利軌道跡地」となっているが、説明文は「福生砂利軌道跡地」となっている。「福生砂利線」と"線"が入ったほうが正しいような気がするが、どちらかに統一してほしいね。

加美上水橋

橋の上から見た下流側の景色

欄干の模様は鳥と葉っぱ。素人には何の鳥や葉っぱなのかわからない。

わからなくてもいい、この景色で頭を休ませよう。

上水に浮かんでいる木の枝にカワセミのような鳥がいた。

スマホではこれが限界で、肉眼でも遠くてはっきり見えなかったが、色が違うような気がするので違うかも。

上流側の景色

橋に「加美上水橋の歴史」の説明板が設置されていた。

 昭和二年二月、大正天皇の陵墓造営に必要な多摩川石を運搬するため、福生駅から多摩川羽村境に至る1.8km間の砂利運搬専用線が敷設され、通称ガードと呼ばれる鉄橋がここ玉川上水にその姿を写すこととなった。
 このガードを日に二回電気機関車が四、五輌の貨車を引いて通り、また地域の人々は枕木を渡り利用していた。
 昭和三十四年十二月,砂利運搬停止
 昭和三十六年三月、線路、架線撤去
 昭和三十七年七月、福生町へ売却
 その後、鉄板製の歩道橋に改良
 平成三年三月、新東京百景にふさわしく欄干等を改良し加美上水橋と命名