越谷駅の階段の下にレンガが見えた。
何だろう?
撮影日 2023年11月7、9日
撮影場所 東京都越谷市弥生町4-11
レンガ部分をアップ
開業当時(越谷市本町 池田家所蔵写真から転写)
このレンガは、伊勢崎線越谷~北越谷間の元荒川橋梁に使用されていた橋脚の一部です。 北千住~久喜間が開業した明治32年8月から平成6年3月までの95年間、列車の輸送を支 えてきました。 大正12年の関東大震災にも耐え、明治、大正、昭和、平成と4世代にわたり増水や増大する列車荷重を支え続けました。
当時は現在のように大型の建設機械は無く、人力に頼らざるを得ない河川内の難工事で したが、当時の名人職人達が土木技術を駆使し造り上げたものです。
このたび、伊勢崎線連続立体事業により撤去されましたが、約100年前の貴重な土木文化 遺産であることから、ここに当駅コンコース仕上の一部として残すことにいたしました。
平成7年12月
東武鉄道株式会社
使われているレンガは日本煉瓦製造製とのこと。
旧元荒川橋梁の一部を使用した遺構がここにも残されていた。
ポーナル桁の銘板
THE BRANDON,
BRIDGE-BUILDING CoLD.
B.R.Co.
JAPAN.
MOTHERWELL,N.B.1897.
イギリスのマザーウェルのブランドンという会社が1897年に製造した桁とのこと。
「この歩道橋は、東武伊勢崎線越谷~ 北越谷間の旧元荒川橋梁の一部を使用しています。」
東武伊勢崎線は、明治32年8月に北千住~久喜間が開通いたしました。
この時架けられた元荒川橋梁は、関東大震災や台風などにも耐え、明治・大正・昭和・平成の4世代にわたり、列車の輸送を支えてきました。
このたび、東武伊勢崎線連続立体交差事業によりその使命を終えた旧橋梁は、約100年前にイギリスで製作され日本に輸入されたものであることが確認されました。
越谷市では、貴重な遺産である旧橋梁の一部をこの歩道橋に使用し、橋暦板とともに後世に残すことにいたしました。
平成13年3月
11月7日にもこの橋を渡ったのだが、その時にはこの橋暦板に気が付かなかった。
歩道橋から見た夕景