歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

福生加美上水公園~新堀橋 in 東京都福生市

加美上水橋を渡ったところに公園があったので、立ち寄ってみた。

訪問日 2023年8月28、29日

多摩川八景 玉川上水

玉川上水は、羽村から新宿区の四谷大木戸まで約43kmにわたり、多摩川台地を掘り進んで作られた人工の水路です。
●江戸時代の初期、承応3年(1654)に玉川清右衛門、庄右衛門の兄弟が、いろいろな困難とたたかいながら完成させました。
●江戸の水不足を解消したこの上水は、現在でも都民の水道の一部に利用されています。
●水路の両岸にはたくさんの木が植えられ、美しいグリーンベルトを形作っています。特に取水堰そばの羽村堰下公園は桜の名所として有名です。新堀橋そばの福生加美上水公園には自然林が茂り、花、新緑、紅葉と四季を問わず美しい眺めを楽しめます。

●よく見られる植物(野生樹) えごのき・がまずみ・やまぶき
●よく見られる野鳥 いかるちどり・ささごい・せぐろせきせい・かるがも

1.多摩川の河口
2.多摩川台公園
3.二子玉川兵庫島
4.多摩大橋付近の河原
5.玉川上水
6.秋川渓谷
7.御岳渓谷
8.奥多摩湖

赤い目が怖い黄色い鳥とくちばしがカラフルな鳥がいた。


中西悟堂「野鳥村」構想の地

 ― 中西悟堂の業績をたずねて ―
 一九三四(昭和九)年に「日本野鳥の会」を創設した歌人・詩人で野鳥研究家の中西悟堂は、一九四四(昭和一九)年には福生で暮らし、現在の福生加美上水公園内のこの付近に、日本初の野鳥研究所を兼ねた「野鳥村」の設置構想を持っていました。
 残念ながら、第二次世界大戦の戦局の悪化などから構想は『まぼろしの野鳥村』となってしまいましたが、中西悟堂の意思を継承する活動は現在も続いています。

左記の詩は、中西悟堂がこの付近で一九四六(昭和二一)年四月に詠んだものとされ、現在でもオナガがこの付近でもよく見られます。

 尾長
 冬槻(ケヤキの古木)のうれ(枝の先)を離れて飛ぶ尾長
   あとよりあとより次の槻へと
 水色のつばさを搏ちつつ尾長らは
   こもごもに啼きて多摩川を越ゆ
 その翼開きつ閉ぢつ尾長らの
   長尾のびやかに広き川越ゆ

 このプレートは中西悟堂生誕一二〇年を記念し、中西悟堂協会が有志の寄付をもとに設置しました。
   二〇一五(平成二七)年五月

別な入口には「PHOTO SPOT」「富士見ヶ丘」「幸せの鐘」と書いてあった。

1分で登れるのか?

先へ進んでみよう。(実際には、上から下ってきたら、ここにたどり着いたのだった。)

丘の上には竹製の望遠鏡があった。

竹の穴から覗いてみたが、霞んでいて富士山は見えなかった。

冬だったら見えたのかもしれない。

幸せの鐘

富士山が見えなかったので鳴らさなかった。

 

福生市指定史跡 玉川上水旧堀跡

玉川上水旧堀跡
福生市指定史跡 指定第二十一号
  所 在 地 福生市大字福生一七六三番地一
        福生市都市公園
        「多摩川緑地加美上水公園」内の一部
  指定年月日 平成二年十一月一日
福生市登録史跡 登録第二十一号
  所 在 地 福生市大字福生一七七六番地外
  登録年月日 平成二十九年三月三十一日

玉川上水では、元文五年(一七四〇)に多摩川の洪水被害を避けるための掘り替え工事が行なわれました。このとき廃棄された堀の遺構が玉川上水旧堀跡です。
承応三年(一六五四)の完成から約九〇年が経った玉川上水では、多摩川の出水によって福生市内の一部で上水の土手がしばしば崩壊し、このままでは通水に支障が生じる恐れもありました。そのため代官上坂安左衛門のもと、上水世話役川崎平右衛門によって、 三三七間(約六一三メートル)程の新しい水路が作られました。 現在、旧堀跡の片側の土手は崩壊していますが、もう片方の土手及び堀敷部分は遺構として残存しています。
この玉川上水旧堀跡は、近世中期の大規模な土木工事の遺構として、歴史的、学術的に大変貴重です。
福生市教育委員会

以前設置されていた説明板に書かれていた文章も載せておこう。

市指定史跡 玉川上水旧堀跡
所 在 地 福生市大字福生一七六三番地
      福生市都市公園多摩川緑地加美上水公園」内の一部
指定年月日 平成二年十一月一日

玉川上水旧堀跡は、江戸幕府が江戸市民の飲料水の確保を目的として、承応二年(一六五三)に開削した玉川上水が、その後、元文五年(一七四〇)に至り、北側に三三七間(約六ー三メートル)程、付け替えられたため廃棄された堀が遺構として残ったものです。
玉川上水は、開削後、たびかさなる多摩川の出水によって、福生市内の一部で上水の土手がしばしば崩壊し、このままでは通水に支障が生じる事態も起こりかねない状況にありました。そのため元文五年、代官上坂安左衛門の掛かりで、新田世話役川崎平右衛門によって付け替え工事が行われました。
|旧掘跡は、この公園内及び付近に残っていますが、南側の土手は崩壊してみられません。しかし、北側の土手及び掘敷部分は遺構として現存しています。
この玉川上水旧掘跡は、近世前期の大規模な土木工事の遺構として、歴史的、学術的に大変貴重です。
福生市教育委員会



道があるので、歩いていけそうだったが、暑いし、上から見ただけで満足してしまった。



玉川上水を少し上流方面に歩いていくと新東京百景に選ばれた新堀橋(しんぼりばし)がある。

元文5(1740)年の夏、玉川上水の大規模な堀替え工事が行われた。
この工事で水路は現在と同じになり、新堀橋はその後に架橋された。

当初は地名から馬喰(ばくろう)橋あるいは神明橋(しんめい)と呼ばれていたそうだ。

現在の橋は昭和61年竣工。
欄干に趣向が凝らされ、6月には蛍が舞う。
この橋周辺の玉川上水の風景は、新東京百景に数えられている。

どの写真が上流側か下流側かわからなくなってしまった。

波紋が見えた。鯉でも泳いでいるようだ。

木々や上水に映る緑が美しかった。
紅葉したら、さぞかしだろう。