歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「東京都国立市一本松」

最近は多摩地区探索がマイブームのひとつとなっている。それは、東京23区内と比較して探索されている方があまりいないからという単純な理由である。

しかし、多摩地区の旧町名を調べていたところ、主に東京23区内で活躍されていたこの道の先駆者の方が、多摩地区にも進出してきていて、自分が発見済のものもあるが、自分が未開発地域も含め、まだ出会っていない旧町名をいくつも発見されていることがわかってしまった。
最強、超強力なライバルの出現だ。
なんてね。
そう、自分は自分でGoing my wayだ。

と言っても気になる。
その方が発見したものだけではないが、多摩地区で自分が未発見のものを後追いしたくなってきた。
ということで今回は国立市を再訪することにした。
国立市ではいくつか旧町名や小字町名を発見しているが、まだ「谷保村」時代のものは発見できていなかったので、今回探索の主目的は「谷保村」時代のものを発見することだった。

この方が載せてある表札の写真は番地が見えないようになっており、現町名も詳細まで書かれていない。
この方のはだいたいそうなので、発見するには難易度が高い。番地はともかく、現町名だけでも教えてくれると助かるのだが。
苦労してようやく見つけたのだから、自分で見つけなさいということだろうし、それがポリシーだと思うので、もし万が一もないと思うが(当ブログを知っているはずがないという前提)、この記事を読んで、気分を害されたならお詫び申し上げる。
同業者の方には表札の番地、設置されている周辺の建物の写真を載せてくれている方もいるので、そういう場合は、探索の大きなヒントとなるのでとてもありがたい。
発見したら、感謝を伝えなければいけないのと思うのだが、自分はSNSをやっていないということを理由に、コメントにお礼の言葉を述べていない。(自分は小さい頃から「コミュ障」的なところがあるので、どちらかというとこれが大きな要因かもしれない。)
自分のブログなら書ける。
この場でお礼を言わせてもらおう。
「紹介していただき、ありがとうございます。」
と書いてはみたものの、同業者の中でマイナーな当ブログのことを知っている方はあまりいないと思う(と書きながら、旧町名の記事も比較的多くのアクセスをいただいているので、少しは知られるようになってきたのかな思う今日この頃である)ので、この記事も読んでもらえないだろうから、感謝の気持ちだけとなる。

最初書こうと思っていないことも書いてしまうことがある。

書かなくてもいいどうでもいいことを書いてしまったかもしれない。

何か書いているうちに勢いで書いてしまった。

でも、まっ、こんな文章なんて一文字一文字読んでくれる時間に余裕がある方なんていないだろうから、気にしないことにしよう。

こんなことを書かずにすぐ本題に入ればいいのだが、書きたい時があるのだろう、書き進めているうちに書いてしまう。

結果的には、今回は「谷保村」時代のものは発見できなかったが、別な旧町名を発見することができた。

発見日  2023年10月21日

発見場所 東京都国立市谷保四丁目


門の左側の表札は現町名が書かれていたが、右側の表札は真っ白だった。しかし、気になったので、近寄ってよく見てみると文字がかすかに見えた。
2行になっていて
東京都国立市
一本松
と読めた。

もっといろいろな角度から写真を撮りたかったのだが、家の方を見るとカーテンが空いていたので、怪しまれないうちに退散した。
しかし、他にないかなと探索しているうちに、一周してしまいもう一枚撮ってしまった。

写真に撮ると、ほとんどわからない。
下の写真は加工してみたのだけど、なんとなく書いてあるのが分かる程度だ。

えっ、
何にも見えない?
真っ白じゃないか!
だって。

そういう方に言っている言葉ある。
「心で読んでみよう。」
だったかな?

こういうものでも見つけてしまったので、紹介したくなるのである。

一本松歩道橋


一本松公会堂

 

くにたちしらべ NO.15
  発行日 2012 年 9 月 10 日 
 編集=くにたち図書館地域資料ボランティア 
 発行=くにたち中央図書館 
 『くにたちの地名』シリーズ 5 
甲州街道から二町ほど南に入った府中崖線段丘上に位置する地域です。このあたりの小字名は一本松といいます。ここには白山神社というむらの守護神があります。菊理姫命を神としています。素戔嗚尊を祭神とした八雲神社が合祀されています。寛永年間の創祀という伝えがあります。
縄文時代の遺跡が多く、時々土器石器類が発見されています。
昔から野菜の苗(茄子、胡瓜、甘藷など)の産地として知られています。