ひたちなか市を探索していたところ、旧町名の標示柱を5本発見した。
発見日 2023年10月17日
発見したものを50音順に紹介していこう。
①泉町
もと「部田野新田」、「新田」、あるいは「新田町」ともいったが、たびたびの火災のため、文政十年(一八二七)に「泉町」と改めた。
②北水主町(きたかこまち)
元禄十一年(一六九八)、水戸藩主徳川光圀は、藩船の管理と海防の任に当る「水主組」を那珂奏に置いた。水主町は、藩から拝領した水主士の屋敷地である。
③三丁目
元禄十一年(一六九八)、水戸藩主徳川光圀の命によって「通り町」のうちから三町目が町割りされた。明治三十四年(一九〇一)湊
商業銀行創業の地である。
④二丁目
元禄十一年(一六九八)、水戸藩主徳川光圀の命によって「通り町」のうちから二町目が町割りされた。江戸時代には「制札場」があり、距離の起点地である。
⑤明神町
葉っぱが邪魔で、全文を確認できなかった。
水戸市は旧町名の標示柱を昭和61年から4年間かけて107ヶ所に設置したそうで、それについて紹介しているページが3ヶ所もあった。
水戸の旧町名(総務法制課) - 水戸市ホームページ
旧町名の標示柱一覧 - オープンデータ - 水戸市ホームページ
力を入れていることが分かる。
埼玉県と茨城県は隣接している県であり、コンプリートしたい気持ちは大いにあるのだが、水戸市はちょっと遠いなあ。
本題のひたちなか市には何ヶ所に設置されているのだろう?
ネットで調べたところ、上に紹介した以外にいくつか載っていたが、ひたちなか市のホームページには、これについての記載は見当たらない。
水戸市のようにホームページで紹介してくれればいいのだが、もう訪問することもないかなあ。