歩・探・見・感

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「東京府 度量衡取締省略之章 東京府醫師會」のプレート他

この薬医門がある裏の道を通ってきたのだが、左側にこの薬医門が見えたので、立ち寄ってみることにした。



門の左側に説明板があった。

市指定有形文化財
指田日記
当初指定 昭和五十一年四月五日
追加指定 平成十五年六月二十七日
指田日記は、指田攝津正藤詮(当指田家の祖)が天保五年(一八三四)から明治四年までの三十八年間にわたって記録した全十六巻の日記である。
日記は、政治・産業・世俗・慣習・行事・事件などについて克明に記録され、その範囲は当市のみでなく近隣村落にまで及んでおり、当時の歴史を知る貴重な資料である。

指田日記の形状
(第一冊から第十五冊)
縦  二十三センチメートル
横  十六・五センチメートル
製本 堅帳 四ツ目綴じ

(第十六冊)
縦  三十二・五センチメートル
横  十二・五センチメートル
製本 横帳 こより綴じ

指田日記についてのお問い合わせはすべて歴史民俗資料館にお願いします。

平成十七年三月

武蔵村山市教育委員会

この門で楕円形をした東京府時代のプレートを発見した。

発見日  2023年10月23日

発見場所 東京都東村山市中央3丁目

東京府 
度量衡取締省略之章 
東京府醫師會

このプレートは初めて見たかもしれない。

度量衡取締について調べてみると、
度量衡取締条例(どりょうこうとりしまりじょうれい、明治8年8月5日太政官第135号達)は、1875年8月5日に公布された太政官達で、近代日本最初の度量衡法規である。1891年の度量衡法制定によって廃止された。
というのがあったそうだが、そんな古いものでははないだろう。

その次の度量衡法は、
1891年(明治24年)3月24日に公布され、本法附則17条の規定によって、1893年明治26年)1月1日から施行された(明治24年法律第3号)。
その後、度量衡法は、計量法(1951年(昭和26年)6月7日公布)の施行(1952年(昭和27年)3月1日)に伴って、廃止された。
とあり、度量衡法に関するものと思われる。

詳細は不明だが、推測するに薬を調合するときに何かの手続きを省略してもいいということなのかもしれない。

他にも下記の「簡易保険指定医」と「健康保険医」のプレートが門に付いていた。

これはどこかで見たことがあるような気がし、写真も撮ったことがあるような気がする。
"険"と"院"の字がそれぞれ違っているのが面白い。

以前は指田医院として開業していたそうだが、現在は田島内科クリニックとなっている。