武蔵村山市で「村山町」時代の旧町名の痕跡をいくつか発見した。
発見日 2023年10月23日
発見場所 東京都武蔵村山市中藤四丁目
①村山町大字中藤字谷ツ
「谷ツ」と書いてあると思ったが、そんなカタカナが付くのはないと思って「谷川」だと思ったが、調べていたら「谷ツ(やつ)」ということがわかった。
「谷ツ」は丘陵地が浸食された谷地形のことを指し、「谷戸」「谷津」「谷地」などとも呼ばれている。
②北多摩郡村山町中藤
③北多摩郡村山町中藤
歴史
1889年4月1日
神奈川県北多摩郡中藤村・横田村・三ツ木村・岸村の4村で、中藤村外三ヶ村組合が設立される。この年に、野口村、廻田村、大岱村、久米川村、南秋津村が合併して東村山村が成立している。
1908年4月1日
中藤村と横田村が合併し、中藤村となる。これにより、中藤村外三ヶ村組合が中藤村外二ヶ村組合になる。
1917年4月1日
中藤村・三ツ木村・岸村が合併し、東京府北多摩郡村山村が成立する。
1954年11月3日
町制を施行し、村山町となる。
1970年11月3日
市制施行。山形県村山市が既に存在するため、名称変更を行い、武蔵村山市となる。
地名の由来
1889年まで存続した北多摩郡中藤村による。中藤の由来は武蔵七党のひとつ村山党に属する「中の党」が居住していたことや「中通り」が転訛したことなど諸説ある。