本庄市の旧町名シリーズ第4弾は「台町」。
「台町」は現存している町名だが、発見した場所の町名が「本庄」となっているので、旧町名扱いとしている。
発見日 2022年11月17日
発見場所 埼玉県本庄市本庄
13支会とは何だろう?
台町区の看板
徳川家康が江戸幕府を開くと江戸を中心とした交通網の整備が行なわれ、新たに御堂坂に中山道が開削されると、本庄氏時代に侍町であった久城堀東一帯の再開発がなされた。
『本庄開発旧記』に『…拙家共北ヨリ東ノ方ハ侍所臺村境迄…』の記述があることで、人々は旧家臣団の居住地(侍所)跡を『臺村(だいむら)』と呼んでいたことが分かる。
彼等には地形の高台という意識はなく、城(臺)跡地を再開発した町として『侍所臺村』と呼んだのである。
臺村は「臺新田町」とも呼ばれ、更に西の大新田町 (宮本町・泉町)と区別するため、臺新田町は臺町と呼ばれた。
現在では新字の台が用いられようになり、台地の台と解されるようになったのであろう。」『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)