歩・探・見・感

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町名由来表示柱 in 茨城県笠間市

茨城県笠間市にも旧町名の標示柱があった。笠間市ではこれを「町名由来表示柱」と呼んでいるようだ。

存在していることを知らなかったし、別目的で笠間市に立ち寄ったため、積極的には探すことはしなかった。

そのため、この日発見できたのはたまたま発見できた3本だけとなるのだが、それらを紹介することにしよう。


訪問日 2023年10月17日

荒町

慶長18年(1613)笠間城主松平康長の代に、町人町の高橋町を延長して高橋新町(たかはしあらまち)が出来た。
後に今の新町が創設されたため、「あらまち」の音が残り「荒町」となった。

稲荷町

このあたりは、昔森や林が多く、江戸時代から稲荷社が祀られていたので小字名を稲荷林という。明治22年(1889)に笠間駅が設置され、さらに町村制施行によって笠間町とな った時、ここの集落を稲荷町と名付けた。

高橋町

文禄3年(1594)笠間城主玉生(たまにゅう)氏の代に石井の人々移して町人町として創設された。
この町の西端に中世笠間氏の館の堀があったので、高い橋をかけたことから町名となった。

調べてみたところ、稲田石を用いた町名由来表示柱が、笠間市旧市内に24ヵ所、旧友部町(現笠間市)にも地名表示柱として60ヵ所に設置されているらしい。
結構あったんだなあ。

公開されている「平成25年第4回 笠間市議会定例会会議録 第4号」に下記ような記載があった。

〇10番
確かにおっしゃるように、友部地区の大部分、それから笠間地区の一部については、あれは大字名なのか、町名なのか、私もはっきりわかりませんですけれども、背丈ぐらいの標識が立っていますし、笠間地区にも小さい物が立っております。 
友部地区についてなんですけれども、いつごろ立てたのか私にはわかりませんけれども、頭部分に菊の花をデザインした標識といいますか、看板といいますか、立っています。 
 ところが、日の当たる所に立っている物、こういったものを中心に、ほとんどが色あせ
て、昼間のあんどんみたいな状態になっております。よほど注意しないとわからない状態であります。塗りかえる考えはないでしょうか、回答をお願いします。

〇都市建設部長
友部地区に設置してある地名表示の支柱について、一部色があせていて見づらくなっているという状況で、塗りかえる考えはあるのかというご質問でございますけれども、友部地区の地名表示板は旧友部町におきまして、平成9年にふるさと意識の向上と来訪者へのイメージアップを図るために、茨城県市町村振興事業費補助金を活用いたしまして、友部町のイメージアップサイン事業として設置をされたものでございます。 
合併の際には、町章部分を新市の市章にやはりかえた経緯がございます。ご指摘のよう
に、年数の経過によりまして、色あせ等も見受けられますので、今後は経年劣化等の状況を見ながら、適切な維持管理に努めてまいりたいと考えております。

このようなものをすべてコンプリートしたいと思うのは自分位のようで、ネットで調べてみたが、ブログ等に載せている方はいたが、1部だけで、全部を載せている方は見当たらなかった。
平成23年から10年経過した現在、現状がどうなっているのだろう、自分の目で確かめてみたくなってしまったが、実現は難しいだろうなあ。