歩・探・見・感

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「東京女学館発祥の地」と「華族女學校遺蹟碑」と「三べ坂」 in 東京都千代田区

この日(2023年10月14日)は文京区、新宿区を縦断し、千代田区までやってきた。

地図を見ると変わった名前の坂があったので、寄ってみることにした。

今まで知らなかったというのは、山手線の内側でも探索していないところがまだまだあるということになる。

誰も気にしないと思うけれど、上の現在位置は気にしないでほしい。(「現在位置が、まだ紹介していない"東京女学館発祥の地"の先にあるんだ?」と思わないでほしいということ。)

歩道橋を渡り、衆議院議長公邸横の歩道を歩いていると石垣に何かのプレートが埋め込まれていることに気が付いた。
プレート類も大好物の一つなのだ。

東京女学館発祥の地

有光次郎書

東京女学館は, 明治二十年この地 (旧松平出羽守邸、俗に雲州屋敷、のち閑院宮邸) を皇室より貸与され、 翌二十一年開校した。 その后、 麹町三年町 (旧工部大学校) に移り、 「虎ノ門女学館」と称せられた。 大正十二年関東大震災のため焼失したので渋谷御料地に移り、女子の一貫教育の場として今日に至っている。 こゝに、往古を偲び、将来の弥栄を祈り、創立百周年を記念して碑を掲げる。

(昭和五十四年十一月吉日)(学校法人) 東京女学館

此処を後にし、坂に向かう途中、参議院議長公邸の東門前に石碑が見えた。

華族女學校遺蹟碑

ところどころ読み取れないところがあるが、先人の方が書き起こしてくれたものを参考にして書き起こしてみよう。(全文を書き起こしているものは見つからず。ほぼパクリであるが、先人の方が読み取れていないところも一部読み取れることができた。)

華族女學校ハ 昭憲皇太后ノ〇者ニ
出テ明治十八年四谷仲町ニ創立セラ
ルニ二十二年此ノ地ニ遷リ三十九年學
習院女學部ト稱ス大正七年青山練
兵場西南隅ニ遷リ女子學習院ト稱ス
然レバ校舎ノ此ノ地ニ在ル實ニ三十
年ナリ其ノ間 皇太后陛下〇華族
女學校ニ 皇后陛下ニハ學習院女學
部ニ修學セサセ〇〇〇〇乃ナ碑ヲ遺蹟
ニ建テ永久〇〇〇記スト云フ
昭和十八年十一月十三日
          社圑法人常磐

華族女学校は、現・学習院中、高等科の前身で、1889年(明治22年)から1918年(大正7年)に青山に移転するまでこの地にあった。女子学習院が現在の牛込戸山に移転したのは第二次世界大戦後のこととなる。

目的地の坂に着いた。

やはり、この辺りは探索したことがなかった。

三べ坂


人通りがほとんどない。

江戸時代、この坂の付近に岡部筑前守、安部攝津守、渡辺丹後守の屋敷があり、いずれにも苗字に「べ」が付くということから「三べ坂」と名付けられました。坂の上の西側には赤坂門の水番役を務めていた松平出羽守の屋敷があったため、水坂とも呼ばれていました。