歩・探・見・感

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数多くの旧町名が書かれていた小日向神社の由緒 in 東京都文京区

新宿区水道町から文京区水道に向かう途中に神田川を渡る橋「石切橋」がある。

石切橋の由来

 この橋は、江戸時代の初期、寛文年間(1661〜73年)に架けられたといわれ、かつてこの橋の周辺に石工が住んでいたことからその名がついたともいわれますが、定かではありません。
 明治時代中頃の記録によれば、この橋は長さ8間半、幅3間(およそ長さ15m、幅5m強)の木橋で、当時この付近では最も幅が広く大きい橋でした。
 中流域にあたるこの付近では、昭和40年位まで神田川を江戸川という名で呼んでおり、この橋も元は江戸川大橋と呼ばれていたそうです。

 

同心町通りとあるが、これに関しての記述はなかった。

かつてあった「同心町」へ向かう道だったのだろうけれど、調べてみたが、詳細は分からなかった。

文京ふるさと歴史館のホームページに「同心町通り」の他の場所で撮ったと思われる写真が掲載されていたが、同ページの左隣にある「竹早町通り」の写真と全く同じなのが気になった。

 

旧町名「同心町」については以下の記事で紹介したことがあった。

citywalk2020.hatenablog.com

 

文京区水道から小石川に向かう途中には小日向があり、そこには探索マニア泣かせの厳しい坂がいくつかある。この日は服部坂を登っていくことにした。(探索マニア泣かせと書いたが、自分は坂道はそれほど気にならない体に成長している。山登りは無理だが・・・。)

坂の上には 江戸時代、服部権太夫の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれた。服部氏屋敷跡には、明治2年(1869)に小日向神社が移された。
 永井荷風は眺望のよいこところとして、『日和下駄』に「金剛寺坂荒木坂服部坂大日坂等はみな斉しく 小石川より牛込赤城番町辺を見渡すによい。・・・」と書いている。
 坂下にある旧文京区立第五中学校はもと黒田小学校といい、永井荷風も通学した学校である。戦災で廃校となった。

以前も登ったことがあるはずだが、小日向神社には立ち寄ったことがなかったかもしれない。

 

発見日  2023年6月19日

発見場所 東京都文京区小日向2-16-6

 

由緒

祭神    誉田別皇命
   建速須佐之男命

建速須佐男命ハ人皇六十一代朱雀天皇
天慶三年春常陸大豫平貞盛宿願
成就奉賛トシテ小日向ノ地ニ社ヲ建立シ氷川
神社ト稱シテ明治ニ至ル
譽田別皇命ハ古音羽町九丁目ニ鎮座シテ
田中八幡宮ト稱セリ明治二年九月當地ニ
合祭ス同四年地名ヲ以テ小日向神社ト改稱
翌五年十一月村社ニ定メラル

氏子町名

小日向水道町西江戸川町武島町水道端一二丁目
小日向臺町一二三丁目茗荷谷町第六天町清水谷町
三軒町小日向町東古川町西古川町松ヶ枝町

大正十三年十一月

 

氏子町名が書かれていた。

このように氏子が書かれているものは珍しいのではないだろうか。

関心がない人が見たら、ただの漢字の羅列だろうが、自分はときめいてしまう。

旧町名の宝庫だったのだ。

  1 小日向水道町
  2 西江戸川町
  3 武島町
  4 水道端一二丁目
  5 小日向臺町一二三丁目
  6 茗荷谷
  7 第六天町
  8 清水谷町
  9 三軒町
10 小日向町
11 東古川町
12 西古川
13 松ヶ枝町

自分のあてにならない記憶の中だが、この中で、痕跡を発見できている旧町名はそれほどない。

 

由緒の右側にある火之用心の碑

 

ここに「小日向水道町青年」と刻まれていた。

その下にも文字があるはずだが、埋まっていて見えない。もしかしたら「青年団」の「団」かもしれない。