歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

目黒区三田で発見した陸軍用地境界石

目黒区にも三田という町名がある。

港区の三田と関係があるのかはわからない。

ワカラナイではなくて調べてみなさい。

ハイ、ワカリマシタ。

調べてみたところ、
目黒区にある三田は目黒三田とも呼ばれ、現在では港区三田とは遠く離れた別個の町であるが、元来は同じ三田郷を起源とする荏原郡三田村の飛び地であり、同一の村に所属していた。
ということで、つながりがあったことが分かった。

目黒三田通り沿いにある三田春日神

当社は人皇六十二代村上天皇の御宇天徳二年(九五六年)春、上巳の節句武蔵国国司藤原正房卿任国の折藤原氏氏神たる大和国奈良、春日大社の御神霊を勧請して当時の荏原郡三田村(現在の目黒区三田)に鎮祀せられた。又、この地が高台にあり遠く富士、秩父連山塔を一望し清々しき処なるを愛で給い、屋敷を定め村人を慈しみ給いければ、村人も多く住居し諸人の神社を崇敬する心厚ければ神社も日々に盛になり藤原氏の子孫と共に大いに繁栄し今日に至った。
 祭神名 天児屋根命
 神社名 春日神

港区にも三田春日神社があり、港区の春日神社の由緒には、天文年間(1533-55年)荏原目黒三田より、港区三田高台の今の地に遷座する。と書かれていた。

ということは、目黒区の三田春日神社のほうが本家みたいなものになるかもしれない。

もっと調べてみると面白そうだが、本題とはずれるので、このくらいにしておこう。

そう今回は、陸軍用地境界石を探しに来たのだ。

事前調査して、目黒区三田に2本の境界石が現存していることがわかっている。

この神社の少し先を左折する。(実際には恵比寿駅方向から来ているのだが、目黒駅方面から来ていることにしている。)



しばらく歩くと右側に手すりのある小さな階段が見えてくる。

①発見場所 東京都目黒区三田2-5付近

 発見日  2023年12月12日


この境界石はグーグルマップに載っていたが、ストリートビューでは確認できない。

上から見ると、2つの階段になっている。



その階段を2段下りたところにあった。


階段に埋まっていて、陸の文字と軍の一部しか確認できない。

2本目はここを少し進んだ左側にあるアパートの駐車場の奥にある。

②発見場所 東京都目黒区三田2-6付近

 発見日  2023年12月12日

この日は白い車が止まっていたので、外からは撮れず。



左側面

238と刻まれている。

238?

以前下記の記事でめぐろ歴史資料館にある陸軍用地境界石を紹介したことがある。

citywalk2020.hatenablog.com

そこに235と239があった。

235と239はどこにあったのわからないが、番号が近いので238の近くにあったと思われる。

真上



これらはかつて目黒にあった三田目黒火薬製造所〈明治13年(1880)~昭和3年(1928)〉 と白金火薬庫(現:自然教育園)との間に敷かれていた火薬運搬用の軍用線路の境界に沿って埋められていたものだ。

軍用線路は、Google マップに落していた方がいるので、下記で確認ができる。

白金海軍軌道跡 - Google マイマップ

この道が白金火薬庫軍用線路だったらしい。

境界石の間が軍用線路だったのだろうから、今より道幅が広かったと考えられる。

この先は茶屋坂児童遊園(右側)

"児"ってこんな字だったけ?と突っ込む。

茶屋坂の名前は、江戸の初め、坂上の眺望のよいところに1軒の茶屋があったことが由来だそうだ。