歩・探・見・感

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幸手権現堂桜堤の「行幸堤之碑」と「謎の境界石」

日光街道を歩いていると上の方に石碑が見えたので立ち寄ってみた。

発見日  2023年12月5日

発見場所 埼玉県幸手市内国府間887番地付近



石碑がいくつか並んでいた。

後方に見える道が日光街道

行幸堤之碑


権現堂堤は、権現堂川の水防のために江戸時代になる前に造られた堤です。
しかし、江戸時代を通じて何回もの洪水を経て、明治時代になって地元から新しい堤防造成の機運が起り、明治8年6月に着工し、10月にはここから栗橋町小石衛門にかけて旧日光道中に並行した新権現堂堤が完成したのです。(現在は国道4号線がその上を通っています)。
明治9年6月に、明治天皇が東北巡幸の際に立ち寄られてその労に感じ入り、この仕事に携わった者の名前を石に刻んで残すように言われ、費用の一部が下賜されました。
人々は大変恐縮し、是非この堤を行幸堤と呼ばせていただきたいと申し出たところ許可されたということです。
明治22年の町村制施行によって高須賀村・外国府間村・円藤内村・松石村・千塚村が合併して行幸村となりましたが、その村名もこの行幸堤に由来しています。
また、この石碑の建っている部分は行幸橋の架け替え工事(平成12年~17年)以前はゆるやかな斜面であったため、石碑自体は歩道の近くにあって国道側を向いていましたが、堤が高くなったために上に移し、見やすいように現在の向きにしたものです。
幸手市教育委員会


明治天皇権現堂堤御野立所


この近くに境界石があった。



上部は丸まっているが、欠けているようで、文字を確認できない。

正面 "界"の文字



裏面 "省"の文字

何省と刻まれていたのだろうか?

行幸堤之碑」は有名なものだが、自分はこちらの境界石の方が気になった。