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九段会館テラスの歴史の小径

工事中だった九段会館が「九段会館テラス」に建て替えられ、2022年10月1日に再開業していた。

随分前だったんだなあ。

しばらく来ないうちに完成していた。

完成したら行ってみようと思っていたのだが、すっかり忘れていた。

最初、貝塚碑が目に入って、へぇ~、こんなところにこんなものがあったんだと周りを見回すといろいろなものが展示されていたので、今回はそれらを紹介することにしよう。

訪問日  2024年1月13、20日

訪問場所 東京都千代田区九段南一丁目6-5

九段会館
建物前面の低層部分は昭和9(1934)年に「軍人会館」として作られたもので、戦後は「九段会館」として長く親しまれてきました。
建物のうち、正門にあたる北側と内堀通りに面する東側が保存されています。
そのデザインは「帝冠様式」と呼ばれ昭和初期の設計手法をよく示し、現在「登録有形文化財」に登録されています。


何かイベントが開催されてるようで、冊子を持って展示物を見ている人が結構ひっきりなしに来ていた。

何のイベントだろう?

若い人ばかりだ。

見たところ自分みたいなおじんはいない。

調べてみたところ、ナゾトキ街歩きゲーム「地下謎への招待状2023」だった。

「地下謎への招待状」は、東京メトロの駅や東京という街全体を舞台に、専用24時間券と謎解きキットを使って、参加者自らがプレイヤーとなって街を歩き、東京や東京メトロに隠された謎を解き明かしながらゴールを目指す体験型ゲームとのこと。

謎解きキットは東京メトロ線内で使用できる専用24時間券を含んで2,800円だって。

結構するね。

開催期間 は2023(令和5)年12月20日(水)〜2024(令和6)年3月17日(日)だそうだ。

自分はやるつもりはないが、興味ある方は参加してみてはいかがだろう。

歴史の小径



敷地内には戦前からある以下の記念碑等が保存されています。

①軍人亀鑑碑
明治16(1883)年の建碑。陸軍伍長谷村計介(1853-1877)の功績が一面に記載されており、その功績を後世の軍人に伝えるために建てられました。



②表忠碑
明治11(1878)年の建碑。西南戦争(1877)の戦没者のために建てられました。



楠公記念楠
武将楠木正成をしのんで植樹された楠が現在も残されています。石碑には、海軍大将東郷平八郎(1848-1934)の書により「楠公記念楠」と刻まれています。



④乃木大将詠草碑
昭和12(1937)年の建碑。陸軍大将乃木希典(1849-1912)の歌碑で、「武士は玉も黄金もなにかせむ いのちにかへて 名こそをしけれ」と刻まれています。



⑤西征陣亡陸軍士官学校生徒之碑
明治14年(1881)の建碑。西南戦争(1877)で殉職した陸軍士官学校生33名のために建てられました。



貝塚
昭和9(1934)年、軍人会館建設時に発見された貝塚の碑。「一部ヲ之ニ納メ」と記されており、当時は碑の下に貝の一部を展示していたことが窺えます。

軍人会館建築工事ノ際地下約八尺ノ処ヨリ掘出シタルモノナリ
其一部ヲ之ニ収メ記念トス
昭和九年五月

⑦弥助砲
薩摩藩士の砲兵大山弥助(のちの大山巌元帥 1842-1916)が明治18(1885)年に四斤山砲を改良し発明した弥助砲の砲身です。


弥助砲の下にある煉瓦造りの壁は、軍人会館時代のものかもしれない。

砲身



九段会館解体部分に使用されていた以下のものが展示されています。

⑧コンクリート杭先端部
九段会館解体部の地中から取り出したコンクリート杭。設計上の長さは5.5m。現在も、約1,900本の杭が保存部分を支えています。

図は、創建時の構造計算書。杭の断面サイズ、配筋、支持力が記載されています。

➈鉄骨柱の柱脚部分
九段会館は、鉄骨鉄筋コンクリート造。展示されているのは、柱脚部分のコンクリート・鉄筋を取り除いた状態です。

図は、創建時の構造計算書。柱脚部分の構造安全性を確認しています。