歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

水無橋 in 東京都渋谷区 

元々は新宿区にある「無名橋」と合わせて紹介する予定だった。

両方とも「無」が付くのでまとめて紹介することにしていたのだが、「水無橋」だけ「無名橋」だけで記事を書けそうなので、別々に紹介することにした。

訪問日 2024年3月21、23日

2024年3月21日 晴

2024年3月23日 曇り時々雨、雨時々曇り、どっちだ? でも雨は小雨

渋谷駅から原宿駅方面に向かう歩道を歩いていると、線路側の歩道に銀色に光るものが見えた。

歩道橋を渡って行ってみる。

光るものの正体はこの説明板

表参道駅方面から神宮前五丁目~神宮前六丁目を横断し、ここに至る道路は歴史が古く、江戸時代からあったものです。青山から代々木村に達するただ一つの幹線道路でした。
明治十八年(一八八五)に日本鉄道の品川・赤羽線(現在の山手線の前身)の建設が計画されました。その線路を敷くために、新たな切り通しがここに造られました。そのため、今まで使っていた大切な道路が切られてしまうということで、線路の上に架けられたのがこの水無橋です。陸橋として作られたものでは、東京でも古い方でした。その後、平成一八年三月に現在の橋に架け替えられました。

以前設置してあった説明板の文章。

表参道方面から神宮前五丁目~神宮前六丁目を横断し、ここに至る道路は歴史が古く、江戸時代からあったものです。青山から代々木村に達するただ一つの幹線道路でした。
明治十六年(一八八三)に日本鉄道の品川・赤羽線(現在の山手線 の前身)の建設が計画されました。その線路を敷くために、新たな切り通しがここに作られました。そのため、今まで使っていた大切な道路が切られてしまうということで、線路の上に架けられたのがこの水無橋です。陸橋として作られたものでは、古い方でした。その後、新しい橋に架け替えられています。

新しい方の建設年が明治十八年(一八八五)となっている。ということは以前設置してあった説明板の年号(明治十六年(一八八三))が間違っていたということなのだろう。

当時は水のない場所に橋が架かる陸橋は珍しく、水無橋の名が生まれたらしい。

下の方に設置されていた貸付財産票

この説明板の事だろうか?

もう契約期間は過ぎているのだが、いいの?

橋名板

橋名板は「みずなしばし」となっているが、説明板は「みずなしはし」と"はし"が濁っていない。
たぶんどうでもいいことなのだろうけれど、とても気になる自分だった。

ここからは橋をメインに。



水無橋から原宿駅方面を見る。



水無橋から渋谷駅方面を見る。



五輪橋から水無橋を見る。



水無橋は付近にあった地図にも載っていた。