旧町名探しについては、自分が最後発だと自認している。
特に東京23区内は、競争相手、ライバルが多く、いや、失礼、諸先輩方が表札、琺瑯住所プレート、町名看板、電力プレート等の旧町名に関わるほぼすべての情報を10年以上も前から紹介しておられる。
そのため、諸先輩方と差別化を図るというわけではないが、既に紹介されている、まだされていないに関わらず、自分が関心ある情報を付加して紹介したいと思っている。
そういうことで、過去の記事もこれから書く記事も、「訪問してくれる方ファースト」ではなく、「自分ファースト」になっているかもしれないが、ご容赦いただきたい。
久しぶりに埼玉県の旧町名の紹介となる。
すでにいくつかインパクトのある旧町名を紹介しているが、地元の埼玉県なので、あまり紹介されていないと思われる旧町名を紹介できるかもしれない。
しかし、インパクトのある旧町名はそれほどあるわけなく、地味な展開になってしまうかもしれない。
「かもしれない」という言葉が続くのは、自信のない証拠かもしれない。
あっ、また、「かもしれない」を使ってしまった。
これからも引き続き、地味になるかもしれないが、消滅した旧町名を紹介するという使命感に燃え、紹介していくことにしよう。
それでは、かつて、埼玉県さいたま市に存在した旧町名を紹介していこう。
発見日 2020年10月2日
今回は、写真を先に掲載して、歴史等説明は、写真の下に記載する。
領家の歴史をたどっていこう。
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡木崎領に属する領家村であった。
1871年(明治4年)11月13日
第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
1879年(明治12年)3月17日
郡区町村編成法により成立した北足立郡に属す。木崎領を冠称して木崎領領家となる。
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、上木崎、下木崎、駒場、瀬ヶ崎、針ヶ谷、本太、北袋、木崎領領家が合併し、木崎村が成立。木崎領領家村は木崎村の大字木崎領領家となる。
時期不明(明治末頃)
大字木崎領領家から木崎領が取れ、大字領家に改称される。
1932年(昭和7年)4月1日
木崎村が浦和町へ編入され、浦和町の大字となる。
1934年(昭和9年)2月11日
浦和町が市制を施行し、浦和市となり、浦和市の大字となる。
2003年(平成15年)4月1日
さいたま市が政令指定都市に移行し、さいたま市浦和区の町名となる。
1830年(文政13年)に完成された武蔵国の地誌である「新編武蔵風土記稿巻之百四十三 足立郡之九」に「小名 竪野」の記載がある。
「竪野」がどのようにしていつから「立野」に変化したのか、調べたが、わからなかった。
しかし、立野(竪野)とかっこ書きされている場合も見かけるし、「竪」は、「た(立)つ」の意味もあるので、江戸時代では、「立」を「竪」と記載していたのかなとも思う。
領家六丁目に領家立野公園、領家七丁目に領家立野団地があり、今もその名を残している。