歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 豊島区日ノ出町

発見日  2020年1月23日

再撮影日 2021年10月21日

発見場所 東京都豊島区東池袋5丁目

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沿革
昭和7年(1932年)
豊島区成立時、高田町雑司ケ谷・雑司ケ谷町・雑司ケ谷旭出町から日出町一〜三丁目が成立。

昭和31年(1956年)
日出町三丁目の一部が池袋東一丁目に編入

~1960(昭和35)年
池袋東は二・三丁目も誕生し、日出町三丁目の一部が池袋東二丁目に編入となる。

昭和41年(1966年)
住居表示の実施により、東池袋一、四・五丁目、南池袋一・二、四丁目に編入となり消滅。

サンシャインシティの名は、7万通余りの公募で選ばれ、旧地名である日出町にあやかってサンシャインと名づけられたそうだ。

日出町の痕跡は、日出町公園、日出優良商店会等に残っている。

 

撮影日 2022年8月9日

 

日出町公園

 

日出優良商店会

 

日出通り

 

旧豊島区立日出小学校の碑

新庁舎の建つこの地(豊島区南池袋二丁目四十五番)は、武蔵野台地の一角にある。この地に開校した豊島区立日出小学校は、大正十二年に開設した高田町立第四尋常小学校(高田町大字雑司ヶ谷字水原六百三十四番地)を前身とする。
 第二次世界大戦がはじまると、高田第四国民学校と改称し、多くの児童は長野県平穂村・渋温泉などへ学童疎開した。昭和二十年四月十三日の大空襲で校舎を焼失する等、命がけの苦難に満ちた時代を通り抜けた。
 昭和二十五年、同校跡地に、豊島区立日出小学校が開校した。校名は「雑司ヶ谷旭出(ひので)」という当地名に由来する。校歌には「豊島が丘の朝風に/もえる日の出の意気見せる」と、児童の学業を鼓舞し、平成十三年三月三十一日の開校までに、3680名の卒業生を輩出した。
 ここに、日出小学校の歴史を後世に残すため、この碑を建立した。
 折しも、新庁社竣工前の平成二十六年十二月、庁舎屋上「豊島の森」に連なる雑司ヶ谷が、日本ユネスコ協会連盟の未来遺産に登録された。私たち区民は、雑司ヶ谷の地域がはぐくんできた歴史や文化を、未来に語り継ぎ、受け継いでいくことをここに誓う。