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旧町名 千代田區神田松富町

今回は千代田区にある旧町名「神田松富町」を紹介しよう。

 

発見日  2021年2月13日 

発見場所 東京都千代田区外神田四丁目

町名由来版

千代田区にある町名由来版はいろいろな形のものがある。

 

江戸時代の外神田四丁目(そとかんだよんちょうめ)周辺には武家屋敷のほかに、商人や職人の住居が立ち並ぶ「松下町二丁目(まつしたちょうにちょうめ)」「松下町三丁目(まつしたちょうさんちょうめ)」、「永富町三丁目(ながとみちょうさんちょうめ)」と呼ばれる町屋がありました。明治二年(1869年)、これらの三町が合併し、さらに武家屋敷も編入して新しい町、松富町が誕生しました。新町名は、松下町と永富町から一文字ずつとってつくられたのです。
松富町を考えるうえで欠かせないのが、町の真ん中を走るメーンストリートです。現在の中央通りにあたるこの道は、江戸時代、将軍が上野の寛永寺(かんえいじ)へ参詣(さんけい)するときに行き来する道でもありました。とくに毎年正月十日に行われた「正月御成(しょうがつおなり)」では、将軍は必ずここを通ったので、道の名前まで御成道(おなりみち)と呼ばれるようになりました。ちなみに、将軍御成(しょうぐんおなり)の当日には、沿道の家は火を使うことも許されないほど、厳重な警備体制がしかれました。
町内には昭和四十年(1965年)ころまで倉稲魂命(うかのみたまのみこと)三座を祭る「三社稲荷神社(さんしゃいなりじんじゃ)」がありました。大変住民に親しまれたお稲荷様(いなりさま)で、毎月二、五、十八日には、必ずお祭りが開かれていました。

 

歴史

1869(明治2)年
神田松下町二・三丁目北側代地、永富町三丁目代地を併せて成立。

1878(明治11)年11月2日
東京府神田区に所属。

1889(明治22)年5月1日
東京府東京市神田区に所属。

1943(昭和18)年7月1日
東京都神田区に所属。

1947(昭和22)年3月15日
東京都千代田区に所属。

1964(昭和39)年12月1日
住居表示の実施により、外神田四丁目に編入となり消滅。

 

同じ通りにあるポンジュース自動販売

東京には1軒しかないポンジュースの自販機らしい。

見たことがないものもいくつかあった。

秋葉原駅に近いところにあるので、興味がある方はどうぞ。

 

えひめ飲料東京営業所

もうかなり前になるが、愛媛を訪問した時、どこかにみかんジュース蛇口があった。

無料で飲み放題だったと思うが、なつかしい思い出だ。