歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

電力プレート シン 2-17 

烏森神社(からすもりじんじゃ)近くにあるこの電力プレートが設置されている建物の前を何回も通ったことがあるのに、今まで全然気が付かなかった。

その電力プレートは、旧「港区芝新橋」時代のものだった。

 

発見日  2022年1月6日

発見場所 東京都港区新橋2丁目

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シンと2-17の間にコードが通っているため、はっきりわからないが、「ハ」の文字の右側の「ノ」のような文字が見える。「ン」と「2」の間が空きすぎているので「バシ」という文字があるような感じがする。知らんけど・・・。

 

歴史
1932年(昭和7年)12月1日
震災復興において大規模な町名整理が行われ、新橋地区の数多くの町が消滅し、新たに新橋一丁目から新橋七丁目が成立した。町名として「新橋」が登場するのはこのときが最初である。
「烏森町」は「日影町1丁目」、「芝口2丁目」に「官有無番地」を合わせて「新橋2丁目」となった。

1947年(昭和22年)
芝区が赤坂区麻布区と合併して新たに港区が成立した。これに伴って町名に「芝」が付き、東京都港区芝新橋となった。

終戦直後のこの時期になぜ「芝」を冠称することになったのかといえば、戦前の東京市(後に東京都)35区制が廃止されて23区制(当初は22区制)に統合されるに際して、新橋はそれまで所属していた「芝区」から「港区」ということになり、住民感情に配慮して、それまでの「芝区」の「芝」を冠称することを許したからだ。

1965年(昭和40年)7月1日
住居表示が実施され、従来の芝新橋に隣接する芝田村町を併せて現在の新橋一丁目から新橋六丁目が成立した。

 

新橋の地名の由来
新橋川に架かっていた橋の名前。

 

JR新橋駅には汐留口側(駅東側)、烏森口側(駅南西側)、日比谷口(駅北西側)、銀座口(駅北東側)の四つの出口がある。
「烏森口」は烏森神社方面(新橋2・3丁目方面)に行く出口だが、「烏森」という町名が起立されたのは1872年(明治5年)である。戦前の1932年(昭和7年)に関東大震災後の復興事業と町名整理によってに廃止され、隣接する町と統合されて「新橋2丁目」となったので、いま烏森という昔の地名を残すものは烏森神社とJR新橋駅の出入り口案内等にある。

 

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芝区旧町名由来版

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烏森町は古くから烏村あるいは烏丸などと呼ばれていた地域でした。
江戸時代、しだいに武家屋敷が建ち並び、明治初年(1868)年まで新発田藩溝口主膳正、武田大膳大夫、大溝藩分部若狭守、池田筑後守、小野桃仙院、井上俊良の屋敷でした。明治五年(1872)、市街地として起立し、町の中央に烏森神社があるので烏森町となりました。
明治四十二年(1909)、ここに開業した烏森駅は、大正三年(1914)に新橋駅と改称され、現在に至っています。烏森の名は今も新橋駅の烏森口などにその名を残しています。

 

大正10年(1921年)の古地図

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