今回は文京区にかつてあった旧町名「白山御殿町」を紹介しよう。
①文京区白山御殿町百十番地
発見日 2020年11月14日(再訪日2022年6月18、20日)
発見場所 東京文京区白山四丁目
②東京都文京区白山御殿町一二七番地
発見日 2020年11月14日
発見場所 東京文京区白山四丁目
東京都、文京区は二段書きで、「白山御殿町」の町名が前面に出ているような感じがする。
以前撮った写真だが、太陽の光が当たり、表札の文字の一部が銀色に輝いていた。
あっ!
まぶしい!
「この表札が目に入らぬか?」
「こちらにおわすのは、先の旧町名、白山御殿町であらせられるぞ。」
「ははー」
ステイタスを感じる町名だと思うのだが、何で白山だけになってしまったんだ。
もったいない。
このままの方がよかったのに。
旧町名案内
町の大部分は、白山御殿の跡である。
承応(じょうおう)元年(1652)館林藩主徳川綱吉 が、別邸を与えられた。ここは白山神社の鎮座(ちんざ)地であったので、白山御殿(小石川御殿)と称した。綱吉が五代将軍に就任後、御殿は廃止されて幕府の御薬園となった。それで付近の土地を併せて白山御殿跡地と称した。
周辺を合併して明治24年、新たに町をおこした。町名は、俗にいう白山御殿跡から白山御殿町とした。
小石川薬園は、明治10年、東京大学付属の小石川植物園となった。また、江戸時代小石川養生所(ようじょうしょ)が薬園内に開かれた。青木昆陽(あおきこんよう)が甘藷の試作を行なったのも、この薬園内であった。
上御殿町会
当初は「上御殿自治会」と称していたが、平成11年5月から現在の上御殿町会に改称したそうだ。
上御殿町会 防災マップ
白山神社にあった上御殿町会の神輿倉
歴史
1891(明治24)年3月
江戸期の小石川薬園に小石川村字御殿下鶴場、小石川久堅町、小石川戸崎町の各一部を合併し起立。東京市小石川区所属。
1943(昭和18)年7月1日
東京都小石川区に所属。
1947(昭和22)年3月15日
東京都文京区に所属。
1966(昭和41)年4月1日
住居表示の実施により小石川五丁目に、
1967(昭和42)年1月1日
残余は白山三・四丁目に編入となり消滅。