歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

奈良県奈良市、吉野町探索記録(2022年4月8日)

5時過ぎに起きて朝食までの間、早朝一人探索を開始した。
早朝は、人がいなくて探索しやすい。
眠いけど。

 

当然のことだが、あちこちに鹿がいる。

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猿沢池から興福寺に上る階段付近にいた鹿たち。

こっちを向いている鹿がいる。
見られているのか?

奈良縣里程元標&奈良市道路元標
 別記事で紹介予定

 

南都銀行本店

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南都銀行ホームページより

当行本店の建物は、大正15年4月、奈良郵便電信局跡地に旧六十八銀行の奈良支店として竣工されたものです。旧六十八銀行国立銀行南都銀行の前身である4つの銀行のうちの1行です。

設計監理は東京在住の工学博士で建築士長野宇平治氏、施工は大林組でした。
外壁には岡山産の花崗岩と褐色の煉瓦を使用し、構造は鉄筋コンクリート造の3階建(一部4階建)地下1階の建物で、奈良唯一の壮麗な外観のギリシア様式建築でした。

奈良県内では貴重な洋風近代建築の事例であり、平成9年に国の登録有形文化財となりました。

当時の建物としては、アメリカ製金庫扉、窓口シャッター、消火栓、温水暖房、天井扇など近代的設備が随所に施されており、総工事費は関係費用を含めると当時の金額で52万3,000円という巨費を投じたようです。

支店としてスタートしたものの、いずれは本店とすることを想定していたため、堅牢性においても銀行の本店にふさわしい耐震構造が採られ、関東大震災の教訓を得て設計の見直しをした際にも防火設備を多少追加するだけで大幅な変更は行わなかったようです。新築落成式の席上、長野氏は次のように建築報告しています。

「起工の当時、東京大震災の後を受け、世間は建築物の耐震および防災の構造設備に対し改良の方策に焦慮せる折柄、本建築は偶然にも耐震上有利なる方法を採用しありしことを知りたれば、設計上改作を加うるの必要なく、震災前に成れる設計方針を踏襲することを得たるは意外の幸福なりき。ただ、小局部において多少改良を加え、また防火設備に対し十分考慮を以て装置をなせり。」

開業に先立ち店舗を一般公開しましたが、入場を制限するほどの参観者が詰めかけ、大好評であったようです。

このギリシア様式の古典的な建造物のなかで、とりわけ目を引くのが正面のイオニア式円柱に施された「羊」の彫刻ですが、これは設計者の長野氏と懇意だった東京美術学校教授の水谷鉄也氏の作品です。「羊」の由来には諸説あるようですが、古代ヨーロッパにおいて民に多くの富をもたらした家畜を金融機関のシンボルとして採用したのではないかという説が有力です。なお、この「羊」の彫刻は建物東側壁面の装飾にも用いられています。

昭和3年8月、旧六十八銀行は奈良支店を新本店とし、その後同9年6月、他3行との合併により「南都銀行」が誕生しましたが、以降「南都銀行 本店」として現在もその機能を果たしています。

その後、第二次世界大戦後の同28年に北側部分に増築、さらに窓枠や内部の改装を幾度か行いましたが、営業室をはじめ所々に往時のたたずまいを残しており、三条通り側からの外観は竣工時とほとんど変わらない姿を保っています。

 

三条通り沿いにある建物

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これも歴史ある建物のように見えるが、不明。

2022年5月4日追記
このビルは、三条会館ビルであることが分かった。
自分ながら、「歴史ある建物のように見える」と言ったこと、ほめて遣わそう。

奈良市の目抜き通り、三条通りにある大正末ごろの歴史的ビルが取り壊しを免れた。地元の呉服店が補修し、テナントビルとして再生させる。存続の危機にあった近代建築に、民間企業から救世主が現れた。
同市角振町の鉄筋コンクリート造り3階建ての建物。建築面積約100平方メートルで、石造り風の外壁やアーチ型の窓、幾何学模様のレリーフなど欧風の意匠が特徴だ。登記簿などから大正末ごろの建築とみられ、銀行から生命保険会社、公民館、飲食店へと、時代とともに役目を変えながら市民に親しまれてきた。三条会館ビルとも呼ばれている。
しかし、築90年前後を経て老朽化が進み、昭和初めからの所有者だった市内の酒造業者は、建物の維持は困難として取り壊しを予定していた。
同市椿井町の呉服店、柴田衣料店はことし1月、酒造業者から敷地と建物を購入。柴田義太郎社長(48)によると、専門家によるコンクリートの強度試験で、引き続き使用可能との結果が出た。古いがしっかりしている、とのことだったという。通行人の目を引く建物だから、雰囲気を生かしながらあらためて利用できればと、テナントビルとして残すことにした。
建物には必要な補強を施し、外壁の傷んだ部分を補修する。3階の塞がれた状態になっている窓は当初のアーチ型に戻す。工事に当たっている業者は、当時としては最先端を行く、手を掛けた建物だったと感心しているという。入り口からは石段に使われていた大きく立派な石が見つかった。しっくいの高い天井やシャンデリアを取り付ける部分の装飾も特徴という。
出典:ニュース「奈良の声」2013/5/3


ローソン奈良角振町店

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古都ならではの佇まいだ。
明治期に建てられ、奈良市登録有形文化財に登録されている「ぜいたく豆本舗本店」が2016年5月に閉店したため、改装し、2016年9月にオープンしたそうだ。
LAWSONの看板も、青と白のものではなく、京都市内のローソンなどでみられるロゴマークを白地で描かれたものになっている。
店前には「ぜいたく豆本舗本店」の看板が置かれている。

 

春日大社参道常夜灯と棚田嘉十郎の碑

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この常夜灯の前の信号から春日大社・一ノ鳥居へは、春日大社参道である三条通りが続いている。

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駅前広場に向いた面に「平城宮大極殿跡是より西乾(「是より」「西乾」はそれぞれ細字で二行に記す)二十丁」と筆太に刻まれている。
左側面には「明治四十三年三月建之 棚田嘉十郎」と筆太に刻まれている。
右側面のやや下部には細字で「石工 浦西鹿蔵」と刻んである。

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この碑は特別史跡平城宮跡の顕彰保存にその生涯をかけ赤貧のうちに自害した植木職棚田喜十郎氏が建立したもので彼の偉業を後世に伝えるためにここに移転保存する。
  昭和46年1月15日       棚田嘉十郎建立平城京址保存会

裏面には
「小清水卓二 書

      世話人
       溝辺文和
       中本宏明
       萩原富男
       松井喜三」
と刻まれている。

 

奈良市総合観光案内所

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JR奈良駅旧駅舎は昭和9年竣工し、平成15年まで駅舎として利用され、現在では近代化産業遺産にも指定されている。
JRの高架化に伴い一時は解体の危機にも見舞われたが、貴重な建築の保存を望む声は多く、元の位置より約18メートルを曳家工法によって移動し、奈良市総合観光案内所として再利用されている。

 

三條池町の仁丹町名表示板発見!

三條会館訪問

 

敷島温泉

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閉店のお知らせが貼ってあった。

 

茅葺の民家発見

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郊外ならわかるが街中にあった。

 

南袋町の仁丹町名表示板発見!

 

南新町の仁丹町名表示板発見!

 

わらべうたの館・奈良市音声(おんじょう)館 奈良のなわとび歌 チューリップ

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あのチューリップの歌ではなかった。

花のチューリップが日本で一般的になったのは昭和初期らしいので、この歌はそれ以降のものらしい。

 

一人探索終わり

 

吉野桜紀行

近鉄奈良大和西大寺橿原神宮前→吉野まで混んでいて、特急を予約できなかったので、約2時間立ちっぱなしだった。
2時間歩きっぱなしより立ちっぱなしの方が疲れる。

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金峯山寺管長の書による「吉野駅」の看板が設置されている。これは、世界遺産登録10周年を記念して大峰奥駆道の山林で育てられた吉野材で作られているそうだ。

 

桜の丸ポストと吉野ピンクル

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吉野町ホームページより

吉野町のマスコットキャラクター「吉野 ピンクル」は、吉野の桜の妖精です。
 体の色は桜の花と同じピンク色、桜の花びらをした頭、胸には吉野町の頭文字の「吉」マークが特徴です。

名前  吉野 ピンクル
出身地 奈良県吉野町(吉野の桜から生まれた桜の妖精)
誕生日 11月6日
性格  優しくていつもニコニコ。
    吉野の桜と吉野に住んでいるみんなが大好き。
特技  出会った人を笑顔にすること 

 

吉野山の案内板

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歴史的概要(右側の説明)

「吉野」という地名は、我が国の歴史の中に数多く現れる。
古事記神武天皇東征伝説にはじまり、天武天皇持統天皇など、 古代における多くの天皇行幸され、また、万葉集にも数多く詠まれた土地である。
平安時代(794~1192)初頭からは日本独自の山岳宗教「修験道」の根本道場として隆盛を極め、百数十の堂塔伽藍が軒を連ねていた。
宇多上皇白河上皇藤原道長・頼通などの皇族、貴族も参詣に訪れている。
その修験道の勢力を頼みとされて、後醍醐天皇が吉野に南朝を開かれ、
以後、後村上・長慶・後亀山の四帝五十有余年の間、
南北朝時代(1336~1392)における一方の拠点となった。
また、吉野は、世に知られる桜の名所である。
吉野の桜は単に花見のために植えられたものではない。
修験道の本尊金剛蔵王権現の姿を、開祖役行者が桜の木で刻んだという伝説から、桜は聖木、神木とされ、本尊に捧げるために植え続けられ、大切に保護されてきた。
平安時代古今和歌集にも詠われた吉野の桜は、以後、現在に至るまで数限りない文学に登場する。
歴史の古さや本数の多さばかりでなく、標高を異にして大群落を形成する吉野の桜は、
花期が長く、山や谷を桜色に染め上げる景観は、他にその比類をみないところである。

地理的概要(左側の説明)

吉野山は、紀伊半島のほぼ中央部、大峰山脈の北端を形成する位置にある。
その北側には紀ノ川の上流である吉野川が東西に流れ、その東西は、泉湯谷と左曽谷と呼ばれる深い渓谷によって挟まれている。
吉野川の南岸から、標高857.9mの青根ヶ峰まで、直線距離にして約8km連なる馬の背状の尾根が吉野山の中心といえる。
吉野山は、奈良盆地に都が営まれていた古代から、大峯の山々を背景として、吉野川の向こうに望まれる聖なる山として信仰を集め、都人にも広く知れわたる霊山であった。
吉野山から山上ヶ岳(俗にいう大峯山)付近までを金峯山と総称する。
金峯山の山上にあたるために名付けられた山上ヶ岳には山上蔵王堂が、山下にあたる吉野山には山下蔵王堂が建立されて、それらを中心とする寺内町が形成されてきた。
現在でも、吉野山の高台には、高さ34mといわれる金峯山寺蔵王堂(山下蔵王堂)が聳え、吉野山の何処からでもその威容を望むことができる。
周辺には神社仏閣をはじめ土産物屋、旅館などが建ち並ぶ景観は、修験道霊場としての趣を色濃く残している。
また、南北朝の動乱など数多くの歴史にまつわる遺跡なども数多く残されており、吉野山は、宗教・政治・文学・自然など複合的要素を備えた名山といえる。

 

ロープウェイの主索 f:id:citywalk2020:20220410205923j:plain

大行列で乗るまでにずいぶん待たされた。
終点まで歩くと約20分らしいので、歩いたほうが早いのだが、妻の体力温存のため、ロープウェイーに乗ることにした。

※主索とは鋼鉄製のワイヤーのことだ。

 

ロープウェイから撮った写真

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株式会社藤井利三郎薬房 フジイ陀羅尼助丸

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ホームページより

吉野山奈良県)は古代より修験者が集まる霊場として有名です。
この聖なる地で荒修行に耐え、厳しい自然との戦いの中、彼らはキハダの樹皮から名薬を作り出しました。

それは、修験道の開祖である役の行者(役ノ小角)が今から1300年前大峰山の開山の際、山中に生え繁るキハダを煮てそのエキスを取ったところ、胃腸の病をはじめ色々な、内臓、外傷にも薬効のある事を知りました。
7世紀末、疫病が大流行した際、大釜を据えオウバク※を煎じて多くの病人に飲ませ救済したと伝えられています。

永い歴史の中、地道な研究と努力で大和の名薬「フジイ陀羅尼助丸」として人々にゆっくりと浸透していきました。

当薬房は約300年前より役ノ小角行者(えんのおづぬぎょうじゃ)のその製薬秘法を拝承し、家庭用常備薬として広く皆様にご愛用頂いております。代々伝えられた製法を懸命に守り抜いた藤井利三郎薬房は現代人のための和漢薬「フジイ陀羅尼助丸」をこれからも作り続けて行きます。※オウバク・・・キハダという木の樹皮を剥いで乾燥したものが生薬名「オウバク」と呼ばれているのです。キハダは、ミカン科の落葉性樹木で樹皮の裏が黄色いため「黄肌」とも呼ばれています。

ここにある蛙はところどころ白く塗られた全長60cm程の蛙と、全体的に赤みがった全長1m程の蛙がいる。これらの蛙は一風変わっていて、前足2本、後足1本の合計3本しか足がない。江戸時代から受け継がれていて、一説によれば「三本足(=二本足と杖)で歩く吉野の参詣者の姿」をあらわしているとの事。

 

下千本(近鉄吉野駅あたりから金峰山寺あたりまで)、中千本(金峰山寺あたりから竹林院あたりまで)、上千本(竹林院あたりから吉野水分神社あたりまで)と登っていく。
かなり急坂もあり、思ったより大変だった。
細い道を車が何台も続いて通る。
通行止めにはなっていないようだ。

1人だったら早いが、妻がいたのでゆっくり登っていく。

やっと花矢倉展望台に到着!
金峰山寺から約50分とのことだが、どのくらいかかっただろうか?

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よく見かける写真の景色が広がっていた。

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吉野山観光協会ホームページより

吉野山には古来桜が多く、シロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集しています。
儚げで可憐な山桜が尾根から尾根へ、谷から谷へと山全体を埋め尽くしてゆきます。

シロヤマザクラは下・中・上・奥の4箇所に密集しており、”一目に千本見える豪華さ”という意味で「一目千本」とも言われます。

おのおの下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれており、例年4月初旬から末にかけて、下→中→上→奥千本と、山下から山上へ順に開花してゆくため、長く見頃が楽しめます。

 

下千本まで降りていく。
登りも大変だったが、下りも足にくる。
普段の探索では、急坂もあるがこんなに長く続くことはない。

 

桜模様の赤い丸ポスト

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新古今集 新86「吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬかたの花を訪ねむ」(西行

 

店先に吉沢京子さんの写真が飾られていた。

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ヒロイン(ミキッペ)こと高原ミキ役で出ていた「柔道一直線」を思い出す。
知らない人が多いかもしれない。
興味がわいた人は調べてみよう。

 

休憩しようとしたが、どこの店も混んでいて、名前は忘れたが、この店だけ休憩時間中で3時オープンとのことで、待つことにするが、時間前に入れた。
客がいないので、窓側のいい席に座ることができた。

窓から見える景色は素晴らしかった。

大正時代からあるというガラス窓越しに撮ったもの。

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ガラス窓がないところから撮ったもの。

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コーヒーセットについていたくず餅

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イメージしたものと違う。
妻は葛切りを頼んだのだが、これが葛切りかという代物だった。

ここは景色だけはよかったので、許すことにしよう。

出る頃には、この店の前は行列だった。
景色はいいけど、美味しくないよ、と言ってあげたかった。

 

柿の葉寿司を買おうとしたが、どこも売り切れだった。

 

ロープウェイは大行列だった。
帰りはロープウェイに乗らずに下っていく。

 

七曲りの桜

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帰りの電車は予定していた電車より遅くなってしまった。
妻は体力的と足が限界のようだったので、優先席が空いていたので、座らせてもらう。
大和西大寺から橿原神宮までも妻は座ることができた。
自分は歩くのは慣れているが、最近こんな長時間立っていることがなく、流石に疲れた。

 

2022/4/13追記

2022年4月11日(月)放送
『帰れマンデー見っけ隊!! 3時間スペシャル』

Hey! Say! JUMP山田涼介&芳根京子ガンバレルーヤ世界遺産吉野山で男3人女3人おとなの爆笑遠足旅!』

旅の舞台は奈良県吉野町 まさに今が見頃!
 約3万本の桜が咲き誇る日本屈指の桜の名所
 世界遺産吉野山を目指して
秘境路線バスに乗って飲食店を探す旅・バスサンド!

サンドウィッチマンと旅を共にするのは
ドラマの主演やYouTubeでも大活躍!
ジャニーズの大人気グループHey! Say! JUMP山田涼介
話題のドラマに引っ張りだこ! 
食べることが大好きな女優・芳根京子
子どもから大人まで、大人気のお笑いコンビ!ガンバレルーヤ
男3人女3人が春爛漫で大はしゃぎ!おとなの遠足旅で爆笑珍道中!

サイコロの出目にも恵まれ幸先良いスタートを切る旅も
ふとしたことをきっかけに 男女に分かれて伊達とよしこが大揉め!?
進めば進むほど 吉野山に向かう道中は厳しくなっていき
立ちはだかる険しい山々に山田・伊達・富澤の男子は疲労困憊
徐々に陽は落ちて 辺りは漆黒の闇へと変わり…
果たして無事にゴールすることは出来るのか? 

そんな道中で出会うのは 数々の隠れた名店
 江戸時代より続く老舗の吉野名物に伝統の郷土料理
 吉野の林業を支える喫茶店の至高の珈琲にボリューム満点の定食
 地元の醤油で作ったタレの絶品うなぎ

そして旅のゴールには…
3万本の桜が咲き乱れる吉野山を一望できる絶景スポットと
創業278年の老舗旅館 一目千本桜の絶景露天風呂が待っている! 

イムリーの放送だった。
しかし、収録は桜が咲く前にしたようだ。
シーズン前は、駅前があんなにガラガラだったんだ。
最も、シーズン中にジャニーズがいたら、大変な騒ぎになったことだろう。