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旧町名&電力プレート 文京区宮下町

今回は文京区の旧町名「宮下町」のものを紹介しよう。

見落としていたのが2軒あることに気が付き、記事を書くにあたって、急遽本日(2022年6月20日)訪問してきた。

先週の2022年6月18日にはすぐ近くを探索していた。

その時は、見落としていたことに全く気が付いていなかった。

何という失態だ。

 

①文京区宮下町六三番地

発見日  2021年3月4日

発見場所 東京都文京区千石四丁目

 

②文京区宮下町21番地

発見日  2022年6月20日

発見場所 東京都文京区千石四丁目

 

③文京区宮下町二十一番地

発見日  2022年6月20日

発見場所 東京都文京区千石四丁目

②と③、同じ番地のものがあるのは珍しい。

 

④ミヤシタ-11

発見日  2021年3月4日

発見場所 東京都文京区千石四丁目

右側が少し欠けてしまっている。

 

旧町名案内

古くは伝通院領で、年代はわからないが町屋が開かれ、氷川明神(現・簸川神社)下にあったが、承応元年(1652)館林藩徳川綱吉(五代将軍となる)の白山御殿の用地に召し上げられ、その代地として巣鴨村の一部に移った。

町名は、もと氷川明神下にあったので、お宮の下、宮下町と名付けられた。簸川神社は現在、千石2-10-10(小石川植物園の西隣)にある。

明治5年、五福町(もと五軒町)と付近の武家地を合併した。さらに同13年、同24年付近の土地を併せた。

明治初期には、政府の奨励により茶畑が造られ、製茶は小石川地区で最も多かった。

歴史

1878(明治11)年11月2日
東京府小石川区に所属。

1889(明治22)年5月1日
東京府東京市小石川区に所属。

1943(昭和18)年7月1日
東京都小石川区に所属。

1947(昭和22)年3月15日
東京都文京区に所属。

1967(昭和42)年1月1日
住居表示の実施により、千石三・四丁目に編入となり消滅。

 

宮下町会

 

文京宮下公園

文京を付けたのは渋谷区のものと間違えられないようにだろうか?

文京区立宮下公園でもよかったと思うが。

公園名にまでケチをつけるのか?

何か文京区にうらみでもあるのか?

う~ん。

特にないということにしておこう。