歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

重要文化財 武家屋敷門 山脇学園

以前都心のどこかで長屋門を見た記憶があり、どこにあったのかなと思っていたところ、たまたま再び出会うことができた(2022年7月9日)。

それは赤坂にある山脇学園の敷地内にあった。

 

発見日  2021年2月8日

発見場所 東京都港区赤坂四丁目10番36号

 

周囲は厳重に鉄柵で囲まれている。

そのため中には入れないので、柵越しに激写する。

写真を撮っていたら、「ここにこんなのあったっけ?」と言う女性の声が聞こえた。

近くを通っていても、関心がないと素通りしてしまう。

この女性達も自分が写真を撮っていたから気が付いたのだろう。

 

中央に両開き戸と潜戸、両側に出番所を備えている。出番所は片流れ屋根で、建物に威厳と格式を与えている。

 

桜の木が植えられており、満開だと映えそうだ。

覚えていたら、来年の桜のシーズンに訪れてみよう。

 

裏側から撮った写真

桁行21.8m、梁間4.7m、二階建、切妻造、片流面出番所附属、本瓦葺

この武家屋敷門は江戸城東廓八重洲大名小路千代田区丸の内東京中央郵便局付近)にあった幕府老中屋敷もの表門で、文久2年(1862)の火災後、当時の老中であった本多美濃守忠民(三河国岡崎藩)によって再建されたとみられる。
当時は桁行58間(実長約120m)にも及ぶ長大な長屋門であったが、左右が切り縮めされて、門と左右番所のみが移築されている。数少ない江戸城下の大名屋敷遺構のなかでも、5万石以上の諸侯または老中職に許された長屋門形式をもつ唯一の遺構である。

 

武家屋敷門は、八重洲大名小路の一角(現千代田区丸の内二丁目、旧東京中央郵便局周辺)に、当時老中職であった岡崎藩五万石、本多美濃守忠民の江戸上屋敷の表門として、文久二年(1862年)の同屋敷火災の後、元治元年(1864年)10月ごろまでに再建されたとされる。その規模は大名小路に沿って南北120メートルに及ぶ長大な屋敷門であった。

明治維新において本多氏が屋敷を退去した後、新政府が屋敷を接収し、政府要職に任命された九条道孝の公邸とした。明治4年(1871年)司法省開設にともなって、その庁舎に充てられた。

明治30年(1897年)に武家屋敷門を含む建物が宮内省所管となり、屋敷地及び建物の大部分が宮内省から私立海軍予備学校に払い下げられた。

明治32年(1899年)に海軍予備学校が霞ケ関二丁目(現霞ケ関一丁目)に移転となり、同校の表門として、現在の同規模の両番所を持つ門構のみが移された。その際、屋根形式は入母屋造に改造し、門の内側に庇を設けるなどの小改造が加えられた。

海軍予備学校は、明治33年(1900年)に海城学校、明治39年(1906年)に海城中学校と改称した。昭和2年(1927年)に海城中学校学校が新宿区大久保に移転する際にこの門は現地に残され、いったん国有化された。

国有化された門は、実業家の藤山雷太氏に払い下げられ、昭和6年(1931年)に芝白金の藤山氏の自邸に移された。その際、背面の庇を撤去して、新たに両側面に附属室を増設し、錺(かざり)金具などを新しくするなどの改修が施されたが、全体としては従来の姿を保った。

藤山邸は表門も含めて第二次世界大戦の東京空襲に焼失することもなく終戦を迎え、昭和20年(1945年)から約6年間米軍の将校宿舎に使用された。

その間、この門は昭和22年(1947年)2月に国宝に指定され、昭和25年(1950年)9月に文化財保護法施行に伴い、重要文化財に指定替えとなった。

藤山邸は昭和26年(1951年)イタリア大使館舎に貸与された後、昭和39年(1964年)に近畿日本鉄道株式会社に買収された。

近畿日本鉄道株式会社が藤山邸周辺に高層ホテル建設(現シェラトン都ホテル東京)を計画したことから、同社社長の佐伯 勇氏は縁戚関係にあった山脇 穣氏が理事長を務めていた山脇学園にこの門の寄贈を申し出た。申し出を受けた山脇学園は、この門を千葉県九十九里町にあった臨海施設松籟荘に移築した。

平成28年(2016年)に山脇学園新校舎建築事業の一環として、千葉県九十九里町にあったこの門を赤坂に移築した。

山脇学園ホームページより)

 

平成23年の震災をきっかけに、津波から文化財を守るため、港区赤坂編移築検討が始まった。文化庁との協議の結果、現状変更が許可され、約50年ぶりに東京へ移築されることとなった。
およそ3年をかけた解体・移築工事は、平成28年9月に竣工式をあげることとなった。
赤坂のビルの谷間に、突如と現れた「武家屋敷門」。
震災や戦災を潜り抜けた貴重な江戸の遺構だ。

 

国立博物館池田屋敷の黒門、 東京大学の赤門とともに日本三門とも呼ばれている。

 

一般には非公開で、始業式などの節目の行事の際は、生徒たちはこの武家屋敷門から登校し、新たな決意を胸に襟を正してこの門をくぐるそうだ。

 

東京都内には約70棟の長屋門が現存しているらしい。

そのうちいくつ写真に収めたか覚えていないが、まだ半分も収めていないだろう。

いづれコンプリートしたいと考えているが、いつのことになるだろうか?

 

山脇学園と彫られている石

 

この長屋門の近くにある草月会館草月いけばな展「花のプレリュード」が開催されていた。

正面エントランスに家元の作品が飾られていた。

作品名は見当たらなかった。

竹細工と言っていいのかわからないが、割竹のカールが美しい。

これは今までにない高さを誇るらしい。

この作品の展示期間は7月11日(月)までとあった。
この記事を投稿するのが今日(2022年7月12日)になってしまったので、もう撤去されてしまっているかもしれない。