歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

都電6000形6162号車 in 豊島区立南大塚公園

豊島区立南大塚公園に屋根とフェンスに覆われた都電があった。

南大塚公園(豊島区ホームページより)

区画整理事業により生まれた公園で、開園以来親しまれてきましたが、平成3年度に再整備され、明るい公園に生まれ変わりました。
 住宅地のなかにこんもりと茂る、ひときわ鮮やかな緑の木立ち。公園をぐるり囲む木々は、春にはソメイヨシノの美しい花が、秋にはしっとりと色づくノッポのイチョウが、季節のうつろいを人々に知らせてくれるのです。
 公園は細長い植え込みを境に東西に分けられます。東側は、こどもが自由にかけまわることができるダスト敷きの広場。一段高くなった西側には、砂場、ブランコ、スベリ台、コンビネーション遊具、そしてなつかしい都電の黄色い車両がある遊戯広場となっています。この車両は、かつての都民の足となって活躍した都電を残したいという地元住民の要望で、昭和46年に設置されたもの。現在では公園のシンボルとして、大人にも、都電を知らないこどもたちにも親しまれています。

面積  1,532.66平方メートル

開園日 1967年(昭和42年)5月

 

発見日  2022年8月9日(再訪日2022年8月18日)

発見場所 東京都豊島区南大塚2丁目27−1

 

道路側から見たところ

 

公園側から見たところ

 

前面

 

後面

 

中の写真を撮ってみた。

窓がすりガラスのようになっているが、運転席が見えた。

 

道路側と公園側に「都電ものしり博物館」のプレートが設置されている。

 

車輪の形をした柵

鍵がかけられ、中に入れないのに、これのどこが「都電ものしり博物館」なのかわからない。

というわけで他の方のブログ等を参考にさせていただき、過去の経緯を調べてみた。

1988年5月
屋根はあるが、この頃はまだ柵は設置されていなかった。

1991年7月
系統番号受けがなくなり、ドアが蹴破られ、窓のアクリルも破られた。

1991年12月
広報としまに南大塚公園の6162がリニューアルして都電博物館になるとの記事が出た。
屋根がつき、方向幕も修繕されるようだ。
窓にマスキングがされているので塗装もやり直すようだ。

1992年2月
完成。
「都電ものしり博物館」のプレートが設置される。

1992年4月
ドアが蹴破られている。

1993年6月
ヘッドライトが破損し、ベニヤ板で応急処置されている。

2012年8月
黄色なのか褐色なのかわからないくらい色褪せ、車両の周囲はフェンスで囲まれる。

2016年3月
屋根付きの状態で保存されている。
しばらく手入れが施されていないようで塗装もだいぶくたびれ始めている。

2016年(平成28年)11月7日~28日
塗装工事が行われ、クリーム色の青帯塗装から従来色の黄色の赤帯塗装にカラーリングが変更された。

帯が少々細い。

以前から埋められていた方向幕の窓は復活ならなかった。

前照灯も赤く塗られている。

ということのようである。

 

この公園は「BanG Dream!バンドリ!)」というアニメの聖地になっているようだ。

バンドリ!」は、新宿区と文京区周辺に通う女子高生がバンドを結成し、夢を追う物語。
この車両の前で、小学5年生の花園たえとレイチェルは出会い、2人だけのライブを行ったシーンがあるらしい。

 

都電6000形
都電全盛期の代表的な車両で、290両製造された。荒川線のワンマン化後は6152のみ残ったが、2001年に廃車となり、形式消滅した。

 

説明版

1 都電の兄弟たち
都電は、東京都交通局が走らせています。
交通局には、都電荒川線のほかに都営地下鉄線があります。 浅草線 三田線新宿線の三路線です。 また、 道を行く都バスも仲間です。
皆さんも乗ったことがあるでしょう。

2 都電荒川線の歴史を見てみましょう。
東京でただ一か所となった都電荒川線は、現在一日延6万5千人の都民の皆様が利用しております。
荒川線が誕生したのは、明治44年です。この年、王子 (飛鳥山上) -大塚間が開業しました。
当時は、私鉄の王子電気軌道という会社で運行されており、長い間 『王電』 の呼び名で親しまれていました。
この『主電』 は、昭和17年東京市に移管され 『市電』と名前が変わり、昭和18年東京都制施行により「都電』と呼ばれるようになりました。
昭和37年の頃には、東京都内に200Km以上もの都電の線路が網の目のようにありました。
その後、自家用車の増加や地下鉄の開通により、都電の多くの路線が次々に廃止されました。 三ノ輪橋-赤羽間および荒川車庫 -早稲田間も廃止予定でしたが、 路線の大部分が専用軌道であること、地域住民の強い要望などにより王子駅前一赤羽間のみ廃止し、他は残すこととなりました。
そして昭和48年には、二つの路線をつなぎ、三ノ輪橋一早稲田間として12.2Kmを一本化し名前を「都電荒川線」と改め、現在にいたっています。

 

3 この電車の大きさと生い立ち

形式      6000形
番号      6162号車
大きさ     長さ12.3m  幅2.21m   高さ3.66m
重さ      16.0t
モーター    38kWが2個
定員      96人(座席30人)
製造年月日   昭和24年7月21日
配属車庫    昭和25.10.16  青山車庫
        昭和42.12.10  大久保車庫
        昭和43.05.26  荒川車庫
        昭和45.03.27  錦糸堀車庫
廃車      昭和46年3月20日
公園設置    昭和46年5月01日

 

4 現在の荒川線の車両

形式     7000形         7000形冷房車
車両数     10両             23両
大きさ    長さ12.5m  幅2.2m      高さ3.7m
重さ     15.5t(冷房車16.5t)
モーター   60kWが2個
定員     96人(座席24人) 
最高速度   時速40.0km

形式     7500形         7500形冷房車
車両数       1両             13両
大きさ    長さ12.5m  幅2.2m      高さ3.9m
重さ     16.5t
モーター   60kWが2個
定員     96人(座席24人)
最高速度  時速40.0km

(他に6000形〔6152〕及び8500形が1両ずつで合計49両)平成3年1月1日現在
資料提供 東京都交通局 

 

昭和37年10月現在の電車案内図

都電には詳しくなく、昔乗った記憶もなく、「東京さくらトラム」も乗ったことがない。

この電車案内図がなければ、この記事は書かなかったかもしれない。

手書きのものを印刷したのだろうか?

同じ字でも形が異なっている。

 

左側部分

実際に使用されていた伊皿子の駅名標が港区の港区立郷土歴史館にあったが、この郷土歴史館は写真撮影不可だったため、撮れなかった。

 

最近自治体が運営している資料館を訪問することが多くなった。

入館料は無料のところから有料でも100円か300円で、とてもリーズナブルだ。

写真撮影については、撮れるところと撮れないところがある。

無条件に撮れるところ、申請すれば撮れるところ、撮影禁止の表示があるところだけ撮れないところ、全く認めないところといろいろある。

知らなくて全く認めてないところで撮ってしまったものもあるが、これは消してはいないが、公開しないことにしている。

港区の郷土歴史館も申請制にしてくれればうれしいのだが。

 

話題がずれてしまった。

 

中央部分

 

右側部分

今は無き旧町名の駅名がたくさん載っており、暑くなければずっと見ていたいくらいだったが、写真を撮って早々に立ち去る。

 

5 路線図のコメント

お父さんやお母さんの子供のころではなく、今だとお爺さんやお婆さんの子供のころになってしまっている。

 

運賃表

都電とあるくらいなので、地下鉄も都営のものしかないが、都電と地下鉄は同じ運賃だったのだろうか?

 

現在の運賃は以下の通り

普通運賃

大人170円(IC 168円)/小児90円(IC 84円)

定期券

区分        1か月    1か月+13日    3か月     6か月
通勤        7,460円    10,000円    21,260円    40,280円
通学    大人     5,930円    -       16,900円    32,020円
   中学生    5,430円    -       15,480円    29,320円
   小児     2,970円    -      8,450円    16,010円

 

電車無軌条連絡?

都電とトロリーバスを併用するという意味か?

トロリーバス
屋根上には鋼体架線があり、そこから電気をとって走る電気バス。バスに架線から電気を取り入れるために、トロリーという名の集電装置をバスの屋根上に設けてある。だから、トロリーバスと呼ばれている。

日本の都市を走るトロリーバスは1972(昭和47)年、横浜の市営トロリーバスを最後に消滅した。

立山黒部貫光(かんこう)の室堂(むろどう)~大観峰間3.7キロが国内唯一のトロリーバスとなっている。

途中返し?

どういう意味なのか不明。