歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 亀有町

以前亀有のことは下記の記事で紹介したことがあるのだが、覚えているだろうか?

citywalk2020.hatenablog.com

えっ?

覚えていない?

当然だろう。

貴重なものだと言っても、理解してくれる人は少数だろう。

大多数の人は「何?これ?」だろう。

それがマニアの世界だ。

それにマニア多数の世界はつまらない。

ごく少数、できれば自分だけ世界がいい。

町会会員プレートもたまに紹介している方がいるが、まだ少ない。

ということで、少数派の自分は町会会員プレートを積極的に紹介することとする。

 

あっ、今回は町会会員プレートを語る会ではない。

元に戻そう。

 

今回は、町だけなくなった葛飾区の旧町名「亀有町」を紹介しよう。

もしかしたら新発見のものかもしれないものも併せて紹介しよう。

新発見といっても自分でそう思っているだけで、何の根拠もないものなので、ハードルを上げてしまったが、期待はしないでもらいたい。

 

発見日  2022年10月6日

発見場所 東京都葛飾区亀有二丁目

 

問題はこの右側にある木製の表札だ。

 

木製の表札だけ写したもの。

左下に「一五三二番地」という文字が見える。

しかしその他の文字は自分の目では読み取れない。

心で読んでみよう。

ほとんど読めない。

一番上に3文字あるように見える。

でも、何と書いてあるのかわからない。

 

ここで歴史を辿ってみよう。

1889年(明治22年
市制・町村制施行により、亀有村(飛地を除く)、青戸村、砂原村(飛地を除く)の3村と上千葉村飛地が合併して、亀青村が成立。

1932年(昭和7年
東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。
奥戸町、本田町、南綾瀬町、亀青村、金町、新宿町、水元村の5町2村の区域をもって葛飾区が新設された。
亀青村亀有より亀有町1〜5丁目が成立した。

1941年(昭和16年
亀有町5丁目から分離して亀有町6丁目が成立した。

1943年(昭和18年
東京府東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。

1967年(昭和42年)
亀有町1〜6丁目より亀有1〜5、お花茶屋1〜3、西亀有1・3、白鳥2・3、青戸8が成立し、亀有町は消滅した。

 

葛飾区亀青村亀有」時代のものか?

わからないが、左側の表札より古いことは間違いないだろう。

読めるようになったら、また報告することにしよう。

 

龜有の由来

私達の町亀有は今から約七百三十六年前鎌倉時代
建治二年(西暦1276年)当時下総国葛西御厨
亀無村と呼ばれており、香取神社神領地であり
ました関係から多くの神領民が移り住み発展致し
今日に至った町です。
なお香取神宮の神様が鎮まります山を亀甲山と
呼ばれています。由来の通り亀に縁の深い町で亀は
中国古代四霊[東方青龍、西方白虎、南方朱雀、北方玄武
亀と蛇]に数えられ、亦吉凶の占術にも用いられていました。
御伽ばなしで浦島太郎にも窺えるように人々をメルヘン
の世界に誘い、今日では、鶴は千年、亀は万年というように
長壽の証しとされております。
非常に縁起の良いもので一般の人々の守護神としても
崇められております。昔から亀に触れて擦ればきっと
良い事があると謂い伝えられています。
   平成14年5月吉日      亀有香取神社宮司 唐松豪夫
                  リリオ自治会々長 西江峰夫
                  リリオ商店会々長 石岡子介
                  寄贈リリオ弐番館管理組合
                      理事長 松澤三喜男

 

由来とあるが、「かめなし(亀無・亀梨)」が亀有に転じた理由は書かれていない。

撫牛はたまに目にするが、撫亀は初めてだ。

 

亀有と言えば「こち亀」だが、銅像が15体ある。

当然のことながら、全て撮影済だ。

いずれ「こち亀」特集を組みたいと考えている。

調べていたら、「こちら葛飾区亀有公園前派出所こち亀)」をテーマにした地上5階建て、のべ床面積約600平方メートルの観光施設を、JR亀有駅周辺に建設するらしい。作者の秋本治さんによる原画などを展示し、オープンは2024年度を予定しているそうだ。
オープンしたら是非行かねば。

 

葛飾区では更に「キャプテン翼」や「モンチッチ」も推している。

これらの銅像なども撮りためている。

こちらもその内・・・。