以前亀有のことは下記の記事で紹介したことがあるのだが、覚えているだろうか?
えっ?
覚えていない?
当然だろう。
貴重なものだと言っても、理解してくれる人は少数だろう。
大多数の人は「何?これ?」だろう。
それがマニアの世界だ。
それにマニア多数の世界はつまらない。
ごく少数、できれば自分だけ世界がいい。
町会会員プレートもたまに紹介している方がいるが、まだ少ない。
ということで、少数派の自分は町会会員プレートを積極的に紹介することとする。
あっ、今回は町会会員プレートを語る会ではない。
元に戻そう。
今回は、町だけなくなった葛飾区の旧町名「亀有町」を紹介しよう。
もしかしたら新発見のものかもしれないものも併せて紹介しよう。
新発見といっても自分でそう思っているだけで、何の根拠もないものなので、ハードルを上げてしまったが、期待はしないでもらいたい。
発見日 2022年10月6日
発見場所 東京都葛飾区亀有二丁目
問題はこの右側にある木製の表札だ。
木製の表札だけ写したもの。
左下に「一五三二番地」という文字が見える。
しかしその他の文字は自分の目では読み取れない。
心で読んでみよう。
ほとんど読めない。
一番上に3文字あるように見える。
でも、何と書いてあるのかわからない。
ここで歴史を辿ってみよう。
1889年(明治22年)
市制・町村制施行により、亀有村(飛地を除く)、青戸村、砂原村(飛地を除く)の3村と上千葉村飛地が合併して、亀青村が成立。
1932年(昭和7年)
東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。
奥戸町、本田町、南綾瀬町、亀青村、金町、新宿町、水元村の5町2村の区域をもって葛飾区が新設された。
亀青村亀有より亀有町1〜5丁目が成立した。
1941年(昭和16年)
亀有町5丁目から分離して亀有町6丁目が成立した。
1943年(昭和18年)
東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。
1967年(昭和42年)
亀有町1〜6丁目より亀有1〜5、お花茶屋1〜3、西亀有1・3、白鳥2・3、青戸8が成立し、亀有町は消滅した。
「亀青村亀有」時代のものか?
わからないが、左側の表札より古いことは間違いないだろう。
読めるようになったら、また報告することにしよう。
龜有の由来
私達の町亀有は今から約七百三十六年前鎌倉時代
建治二年(西暦1276年)当時下総国葛西御厨
亀無村と呼ばれており、香取神社の神領地であり
ました関係から多くの神領民が移り住み発展致し
今日に至った町です。
なお香取神宮の神様が鎮まります山を亀甲山と
呼ばれています。由来の通り亀に縁の深い町で亀は
中国古代四霊[東方青龍、西方白虎、南方朱雀、北方玄武
亀と蛇]に数えられ、亦吉凶の占術にも用いられていました。
御伽ばなしで浦島太郎にも窺えるように人々をメルヘン
の世界に誘い、今日では、鶴は千年、亀は万年というように
長壽の証しとされております。
非常に縁起の良いもので一般の人々の守護神としても
崇められております。昔から亀に触れて擦ればきっと
良い事があると謂い伝えられています。
平成14年5月吉日 亀有香取神社宮司 唐松豪夫
リリオ自治会々長 西江峰夫
リリオ商店会々長 石岡子介
寄贈リリオ弐番館管理組合
理事長 松澤三喜男
由来とあるが、「かめなし(亀無・亀梨)」が亀有に転じた理由は書かれていない。
撫牛はたまに目にするが、撫亀は初めてだ。
当然のことながら、全て撮影済だ。
いずれ「こち亀」特集を組みたいと考えている。
調べていたら、「こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)」をテーマにした地上5階建て、のべ床面積約600平方メートルの観光施設を、JR亀有駅周辺に建設するらしい。作者の秋本治さんによる原画などを展示し、オープンは2024年度を予定しているそうだ。
オープンしたら是非行かねば。
葛飾区では更に「キャプテン翼」や「モンチッチ」も推している。
これらの銅像なども撮りためている。
こちらもその内・・・。