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旧町名&電力プレート 葛飾区本田淡之須町

今回は少し変わった名称の旧町名「本田淡之須町(ほんでんあわのすちょう)」を紹介しよう。

 

葛飾区本田淡之須町41

発見日  2021年8月24日

発見場所 東京都葛飾区青戸一丁目

 

②アワノス-14

発見日  2022年10月6日

発見場所 東京都葛飾区青戸一丁目

既に発見したと思っていたが、調べてみるとまだ未発見だったので、訪問して、無事発見することができた。

 

淡之須町会

 

神田淡平の紹介に「葛飾郡淡之須」の記載がある。

1884年明治17年)創業の老舗。

本店は千代田区内神田2丁目にあり、こちらは本社工場。

「今を去ること五百数十年の応永の昔、葛飾郡淡之須の里に住みついた鈴木平左衛門家は後に、故あって武を捨て、人々に「平ぜむ殿」と親しまれみずからも「淡平」(あわへい)と称して参りました。」とあるので、「淡平」の「淡」は「之須」から、「平」は「鈴木左衛門家」からとったのだろう。

激辛煎餅で有名らしい。

本店の前を通ったことがあるはずだと思うが、煎餅には関心ないので、全然覚えていない。

激辛というは言葉は『神田淡平(かんだあわへい)』の「激辛煎餅」が発祥の造語だったということを知って、びっくりぽん!。

この「激辛」は1986年(昭和61年)新語・流行語大賞銀賞に選ばれた。

この年の他の受賞者を見てよう。

新語部門
 金賞    究極    漫画家 雁屋 哲
 銀賞    激辛    神田淡平店主 鈴木 昭
 銅賞    ファミコン    任天堂株式会社社長 山内 溥
 表現賞    川の手    東京都墨田区長 山崎榮治郎
     家庭内離婚    作家 林 郁
     アークヒルズ    森ビル株式会社社長 森泰吉郎

流行語部門
 金賞     新人類    西武ライオンズ 清原和博工藤公康渡辺久信
 銀賞     知的水準    ロイター通信社支局長 マイケル・サラモン
 銅賞     「亭主元気で留守がいい」    大日本除虫菊株式会社社長 上山英介
 大衆賞    おニャン子    株式会社フジテレビジョン おニャン子クラブ
     「プッツン」    タレント 片岡鶴太郎
 特別賞    「やるしかない」    日本社会党中央執行委員長 土井たか子
     150円台    株式会社東海銀行頭取 加藤隆一
 語録賞    「バクハツだ!」「なんだかわからない」    画家 岡本太郎
     不快語追放応援賞    地揚げ・底地買い    女優 馬渕晴子

 

もう36年前になるのか。

ちょうどアークヒルズにある会社に勤め始めた頃になるのかもしれない。
もう今は日本から撤退して無くなってしまっているが。

と少し懐かしむ。

 

歴史

1932年(昭和7年
本田町淡之須より本田淡之須町が成立。

1967年(昭和42年)
住居表示実施により青戸1〜3、立石6・8となり、本田淡之須町は消滅。

 

地名の由来

「こども葛飾区史 第3章 地域の歴史 かつてあった地名の由来」より

江戸時代のはじめに開こんされた村で、初めは立石村に属していましたが、その後独立し、「淡之須村」となりました。
 1966(昭和41)年まで「西淡之須町」という地名が、1967(昭和42)年まで「本田淡之須町」という地名がありました。現在の四つ木・立石の一部にあたります。
 なぜこのような地名になったのかはっきりとはわかっていません。

 

ということだったが、淡之須の地名の由来について調べていたところ、上記の神田淡平のホームページ(青戸-淡之須の歴史)に以下の記載があった。

福森稲荷神社前の中州にて古の昔、粟(あわ)などの栽培を副業的に行っていたのがこの地の命名につながった、すなわち粟などを栽培している中州を場所の目印にしている村が淡之須村ということです。

「葛西志」によればこの「淡之須村は立石村の北に並びて、是も中川にそへり、またそれより西へ離れて、青戸中原二村の間にも淡之須村に属する耕地少しばかりあり、村名は川に沿えたる地なれば、安房国などいう類にして、寄洲という義なるべしと、いひ伝えり」とあります。