歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 世田谷区船橋町

世田谷区玉川○○シリーズはどうしたのだ、という声が聞こえてきそうだ。

え、どこから?

空耳。

 

今回は、世田谷区の旧町名「船橋町」をすることにしよう。

現町名は「船橋」なので、「町」が取れただけの旧町名だ。
「町」が取れただけの旧町名は、消滅した旧町名と比べると探索意欲が少し薄れてしまう。

世田谷区の現町名で「町」が付いているのは、「桜新町」と「新町」だけだ。
「新町」は新しい町名だと思ったが、調べてみると、江戸時代に世田ヶ谷村新町から世田ヶ谷新町村が成立したとあるので、歴史ある町名だった。
桜新町は1968年(昭和43年)の住居表示実施時にできた新しい町名だ。

脱線してしまった。

戻そう。

 

①世田谷區船橋町一番地

発見日  2022年10月20日  

発見場所 東京都世田谷区千歳台一丁目

「區」の文字に出会うと「ばえー」だ。

「一番地」にも中々出会うことがない。

またまた「ばえー」。

 

②と③は千歳船橋駅を降りて、船橋一丁目経由で、千歳台に向かおうとしたとき発見したもの。
細い路地があったりして、ぐるぐる歩いて楽しんでいたので、中々目的地にたどり着かなかった。
今地図を見ながらこの記事を書いているのだが、荒玉水道道路があった。

気が付かずに横切ってしまったようだ。

少し歩いて見たかったなあ。

 

②世田谷区船橋町163

発見日  2022年10月20日  

発見場所 東京都世田谷区船橋一丁目

文字が薄くなっているが、まだ読み取れる。

 

③世田谷区船橋町二九九番地

発見日  2022年10月20日  

発見場所 東京都世田谷区船橋一丁目

 

目撃情報があった「船橋町二四」と「船橋町95番地」は発見することができなかった。

探せばもっと見つかる気がするが、上に書いたように町が取れただけ旧町名なので、探索意欲がダウン。

 

歴史

1889年(明治22年
町村制の施行に伴い、烏山村、給田村、八幡山村、粕谷村、廻沢村、船橋村、上祖師ヶ谷村、下祖師ヶ谷村が合併して神奈川県北多摩郡千歳村が発足。
千歳村の大字となる。

1936年(昭和11年
千歳村東京市編入された際に船橋町となった。

1969年(昭和44年)
住居表示により船橋となった。

 

地名の由来(世田谷区ホームページより)

船橋という名の由来については、いくつかの説があります。その一つは、昔多摩川の蛇行する川岸に集落があって、多摩川を住民が渡るために船橋を架けたことから名がついたと言われるものです。この船橋というのは、船や材木など水に浮くものを水面に並べてつなぎ、その上に板を渡した浮き橋のこと、または両岸から綱を張ってその綱を伝わって動かす筏(いかだ)のことでした。
また別の考え方では、ずっと昔には烏山川を含む周辺一帯に幅200メートル、長さ1800メートルくらいの大きな池があったのではないかとされ、そこに船橋が架けられていたと見る説です。そしてその橋の位置は今の希望丘橋のあたりで、この船橋を通る道は、古い鎌倉街道の一つだったであろうといわれています。この幻の船橋の池と考えられるところは、かつての水田地帯だった場所で、長い間に池は徐々に湿地帯となって水田に利用されたのではないかといわれています。
またもう一節は、佐野景綱という豪族の子の船橋春綱という人が下野の国に住んでいて、その子孫にあたる船橋吉綱の一族が移り住んだので船橋と呼ぶようになったというのですが、それ以上のことは何もわかってはいません。