歩・探・見・感

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旧町名 文京区湯島新花町

千代田区外神田3丁目にあるまんだらけコンプレックスのディスプレイに「昭和の看板」と題して琺瑯看板が飾られていたので、しばらく釘付けになってしまった。

 

美空ひばり 金鳥かとりせんこう

35,000円

不二家のミルキー

45,000円

 

おはなしケロヨン

ケロヨンという名前、聞いたことがあるようなないような。

まんだらけの宣伝はこのくらいにしておこう。

 

今回の主役は文京区の旧町名「湯島新花町」だ。

 

①文京区湯島新花町八四

発見日  2022年10月25日

発見場所 東京都文京区湯島二丁目

 

②文京区湯島新花町九〇

発見日  2021年2月25日

発見場所 東京都文京区湯島二丁目

これは雨どいの陰に隠れるようにしてあった。

 

旧町名案内

宝永7年(1710) 上野の山に徳川家の新しい墓所の建設で、 輪王寺宮御隠居屋敷がなくなり、この地を代地として隠殿が設けられた宮は間もなく亡くなられ、 隠殿は廃止され、 跡地は菜園となり、大根畑・御花畑と呼ばれた。
その後、宝暦7年 (1757) になって町屋が 開かれ新町屋と呼んだ。
明治5年、湯島新花町と改称し、 付近の土地を併せた。
名称は、元御花畑、新町屋と称したので新と花をとった。
元禄8年(1695)、 霊雲寺のそばに金座(大判小判の鋳造所) が設けられた。
明治30年ころ作家の島崎藤村が住んだ。 作 品『春』に、「湯島の家は俗に大根畑と称へるところに在った。」 とある。

 

歴史

1878年明治11年)11月2日
東京府本郷区に所属。

1889年(明治22年)5月1日
東京府東京市本郷区に所属。

1943年(昭和18年)7月1日
東京都本郷区に所属。

1947年(昭和22年)3月15日
東京都文京区に所属。

1965年(昭和40年)1月1日
住居表示の実施により、現行の湯島二丁目に編入となり消滅。