歩・探・見・感

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旧町名「市川市上妙典」&「市川市下妙典」

東西線に乗って、市川市の下の方に初めて来た。

妙典駅で降り、熱中症警戒アラート、光化学スモッグ注意報が出ている中だったが、行徳街道沿い、旧成田街道沿いを中心に旧町名の痕跡探索を決行した。

市川市上妙典77

発見日  2024年7月20日

発見場所 千葉県市川市妙典一丁目



市川市下妙典四四

発見日  2024年7月20日

発見場所 千葉県市川市妙典三丁目

道路から少し離れた所にあり、小さくなってしまった。

市川市下妙典123

発見日  2024年7月23日

発見場所 千葉県市川市妙典三丁目



地名の由来

日蓮宗大本山法華経寺中山法華経寺)」の経典“法華経”をたたえ、“妙なる典”(妙=不可思議なほどすぐれている。巧みである。きわめて美しい)ということで付いた地名と云われている。

歴史

1889年(明治22年
東葛飾郡本行徳村、伊勢宿村、関ケ島村、下新宿村、大和田村、稲荷木村、上妙典村、下妙典村、河原村、田尻村、高谷村、原木村、二俣村、儀兵衛新田(現・幸、宝)、加藤新田、寺内村飛地、二子村飛地、本郷村飛地、西海神村飛地、印内村飛地が合併し、東葛飾郡行徳町となる。

1955年(昭和30年)
行徳町が市川市に合併。

1978年(昭和53年)4月1日
住居表示実施により、上妙典、下妙典の各一部から妙典1丁目~3丁目が成立。

1988年(昭和63年)2月1日
住居表示実施により、上妙典、下妙典、富浜1の各一部から妙典4丁目~6丁目が成立。

上妙典は市川市高谷地区と行徳地区に跨って設置されている。現在、行徳地区の上妙典は住居表示によって地図上から消滅しているが、登記上の地番においては妙典1・2・6丁目の大半と妙典5丁目の一部に残存している。

下妙典は行徳地区に一部が残っている。

令和6年2月29日現在町丁別世帯人口表(市川市住民基本台帳人口)によると上妙典は13人、下妙典は0人となっている。