歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

東京都に生息する三越のライオン像4頭

すみだ郷土文化資料館を訪問する予定で着いたら、令和5年3月28日まで休業中とのことであった。

なんてこった。

そんなこと事前に調べておくように。

 

仕方ないので、近くを歩いていたら、三囲神社という神社があった。

 

訪問日  2023年2月23日

訪問場所 東京都墨田区向島2-5-17

 

なんて読むんだ?

「みつかこい」?

全然違っていた。

「みめぐり」だった。

 

現在、東京都にある三越のライオン像は、日本橋に2頭と銀座に1頭生息しているのだが、今回訪問した場所でかつて三越池袋店にあったライオン像の生息を確認することができた。

日本橋と銀座の三越も再訪して、写真を撮り直してきたので、今回はそれらも併せて紹介することにしよう

 

 

三囲神社のライオン像

弘法大師が祀ったという田中稲荷が始まりとされる。当時は、現在地より北の田んぼの中にあった。文和年間(1352~56)に近江の三井寺の僧である源慶が社を改築した折、土中から白狐にまたがる老翁の像を発見。
その像の周りをどこからともなく現われた白狐が、三度回って消えたという縁起から「三囲」の名がつけられた。 
三井家は江戸進出時にその名にあやかって守護神とし、平成21(2009)年に三越池袋店の閉店に伴い、シンボルだった青銅製のライオン像が境内に移設された。
日照りが続いていた元禄6(1693)年、俳人宝井其角能因法師小野小町の故事に倣い、「ゆたか」を頭字に詠みこんだ「ゆふだちや 田を見めぐりの 神ならば」の句を献じたところ、翌日には雨が降り評判になったという話が伝わっている。

えっ!

ここに三越のライオンがいるの!

いた。

狛犬ならぬ狛ライオンだ。

 

以前調べていたことがあって、へぇ~、日本橋と銀座以外にも生息しているところがあるんだと思ったことがあったような気がする。その時は所在地も調べていたはずだが、そんなことはすっかり忘れていたのだった。

今回、探索途中、たまたま、偶然に出会うことができた。

こちらのライオン像は昭和47年(1972)「三越創業300年」の記念事業として、日本橋本店のライオン像に倣って池袋三越店に設置されたもの。
池袋三越店(現ヤマダ電機LABI1 日本総本店)は平成21(2009)年5月に閉店、ライオン像は三越の倉庫で保管され、外部への寄贈は今までなかったそうなのだが、三囲神社がライオン像の移設を申し出たことで、11月に境内に設置となったとのこと。

 

右側面

三越」の名前が刻まれている。

 

左側面

 

後ろ姿

 

(左)ライオンは東洋的意匠の狛犬に変化したのだが、三越のライオン像も狛犬のように神前を守っている。

 

三越の旧池袋店から移した 三越のシンボルであるライオン像は 大正3年 当時の三越呉服店を率いた日比翁助がライオンを大いに好み 三越本店に 一対のライオン像を据えたのにはじまる 戦後 本店の像をもとに各支店に設置されている ライオン像の原形はロンドン・トラファルガー広場の有名なネルソン像をかこむライオンである なお「現金安売り掛け値なし」という三井の越後屋の画期的な商売の仕方は大いに発展し 明治29年三越 呉服店につながる

 

 

日本橋三越のライオン像

訪問日 2023年2月24日

 

 

前足はツルツルに光輝いている。

度重なる災難を奇跡的に回避したご利益にあやかりたいと、多くの人たちがライオン像の前足を願いを込めて撫でていくからだ。

第一の試練がこのライオン像を襲った。そう、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災だ。震災直後に発生した火災により建物内を著しく焼失しながらも、奇跡的にこのライオン像は大きな傷を受けなかった。
更に困難が待ち受けていた。
それは第二次世界大戦、金属類の供出が始まったことだ。三越も、国家総動員法の金属回収令公布に従い、ライオン像が金属供出対象となり、溶解される運命にあった。 
供出金属の受入先だった海軍の担当者達は、ライオン像を原宿の東郷神社境内の片隅にあった防空壕の中に置くことを決め、溶解するのを先延ばしにしていた。

 

その頃、渋谷にあるハチ公像は別の運命をたどっていた。多くの反対や抗議があったが、1944(昭和19)年10月に供出されることになり「出陣式」が行われた。
しばらくは倉庫で保管されていたようだが、終戦日の前日の1945(昭和20)年8月14日に浜松の工場で溶解されて、機関車の部品となってしまった。


そして、終戦を迎えた。
誰もが溶解されたものと思っていたこのライオン像は、終戦の翌年「ライオン像は無事らしい」との噂を頼りに東郷神社を訪れた三越社員が発見し、元の居場所である日本橋本店正面入口に再び設置されることになった。

ハチ公像はというと、戦後から3年を経た1948(昭和23)年8月15日、戦後復興のシンボルとして「忠犬ハチ公像(2代目)」が再建された。

 

三越の正面入口を守る一対のライオン像は、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔下のライオン像を模し鋳造されたものです。 "気品と勇気と度量"の象徴として、また、ご来店のお客様の守護神として大正3年(1914年) 本店のルネッサンス様式建築の本館ライオン口に設置されました。 以来、 東京名所 の一つとして親しまれ、 待ち合わせの場所としても有名です。このライオン像は、“必勝祈願の像”として、誰にも見られずに背にまたがると念願がかなうと言い伝えられ、 特に受験生の間に人気があります。

 

正面右側のライオン像の台座に、2014年、詩人の谷川俊太郎さんがライオン像設置100周年記念にと書き下ろした「野生の威厳」という詩が刻まれている。

スフィンクスは問いかけてきた人を試したが
このライオンは人に答え続ける存在だ 
私たちの心はどんな時代にも 
聖俗ごたまぜの問いかけに満ちている

歴史に翻弄される私たちの前で 
時の流れに洗われながらも 
苛酷な天災人災にも恬然として 
静かに王の威厳を保ち続け

ブロンズの肌の冷たさの奥に 
ひそかに脈打つ心臓を隠している 
手で触れることはできないが 
心でそれに触れることできる

人智を超えたこの野性の存在は 
無言でただそこにとどまることで 
どんな言論にもどんな行動にもまして 
勇気と自由の大切さを人に告げる

 

待ち合わせの場所として親しまれながら、本館正面玄関を守る一対の雄姿。ロンドンのトラファルガー広場のライオン像を模した青銅製で、大正3年(1914年)に設置されました。

足から尾まで269センチメートル、頭までの高さは120センチメートルある。

 

銀座三越のライオン像

訪問日 2023年2月24日

人通りが多く、人が写らないように撮るのが大変だった。

しばらくどいてくれない人もいたし。

こちらのライオン像は昭和47年(1972)11月に「三越創業300年」を記念事業として、日本橋本店のライオン像に倣って富山県高岡市で鋳造され、設置された。

 

正面玄関横にあるライオンの銅像が営業再開した2020年5月30日からマスクを装着している。

先行して再開した、仙台三越や広島三越でライオン像にマスクを着けたところ、お客さまからご好評いただいたとの声があり、銀座三越でも着用することとした。

白と赤は三越のコーポレートカラー。ライオンのマスクのサイズは30センチ×16センチ(紐145センチ×4本)、三越の『丸に越』のマークは直径約8センチ。

時折洗濯もしていたという。

 

マスクの着用が個人の判断に委ねられた2023年3月13日、銀座三越のライオン像からマスクが取り外された。新型コロナウイルス感染症の第1波後の2020年5月30日から着け続けていたが、約2年9カ月ぶりに雄々しい素顔を見せた。

撮影日 2023年4月8日