歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

電話番号プレート 京橋

小雨降る中、久しぶりに築地を訪問した。

以前訪問した時は、このようなものに関心がなかった。
写真のストックを確認したところ、これが設置されている建物は撮っていたが、やはり、これは撮っていなかった。

 

発見日  2022年7月16日

発見場所 東京都中央区築地四丁目

これは局番号(56)が記載されているタイプだ。

東京―横浜間で始まった長距離電話は、その後、大阪、神戸、長崎へと徐々に距離を延ばしていったが、1923年(大正12年)、関東大震災が京浜地区を襲い、電話網にも多大な被害をもたらした。その復旧にあたって、それまで交換手が手動でつないでいた交換機を自動化させようという気運が盛り上がり、1926年(大正15年)1月20日、東京の京橋局に第1号の自動交換機が導入された。
この時は自動交換機設備のすべてが海外メーカーに発注されていた。

中央区図書館のホームページの地域資料館で大正15年5月1日現在の東京電話番号簿を見ることができるが、電話番号は局番号2桁+電話番号4桁の6桁になっていた。

当時の局番号は以下のようになっていた。

23 丸ノ内
24 日本橋
25 神田
28 大手
33 九段
34 牛込
35 四谷
36 青山
43 芝
44 高輪
56 京橋
57 銀座
66 茅場町
67 浪花
73 本所
74 墨田
83 下谷
84 浅草
85 小石川
86 大塚

今でも町名等で使用されてるものがほとんどだが、「浪花」ってどこ?
調べたところ、かつて日本橋区に「浪花町」があったそうだ。
現在は日本橋人形町日本橋富沢町となっている。

 

プレートが縦に3種類並んでいる。

上段 読めない。

中断 電話番号プレートだが、市内局番が56から54に変更になっている。加入者番号に0が増え、4桁になっている。
東京都区部の市内局番は1960年(昭和35年)2月7日から3桁されているので、それ以前のものと思われる。

下段 電力プレートだが、中段に町名があるタイプではない。古いタイプのものだろうか?
このタイプのものは、今のところ調査対象にはしていないが、今後調査対象に含めることにしよう。

 

京橋區衛生會特別會員?

京橋區時代のものだから、1947年以前のものだろう。