歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

荒川区荒川八丁目の煉瓦塀と胞衣工場

煉瓦塀があるとの情報を得てそれ以外の情報は知らずに訪問したのだったが、家に帰ってから調べてみたら、そこには今まで知らなかった世界があることがわかった。

 

訪問日  2023年4月13日

訪問場所 東京都荒川区荒川八丁目

 

写真の左端に煉瓦塀が見える。

 

ハコブ株式会社の煉瓦塀

 

株式会社加藤研磨工業所の煉瓦塀

 

大正時代の煉瓦らしい。

 

煉瓦塀に生えている植物たち

 

ハコブ株式会社の右隣の建物に「有限会社大正胞衣社」の名前があった。

 

ハコブ株式会社の煉瓦塀には「日本胞衣衛生(株)」の名前があった。

「大正胞衣社」と「日本胞衣衛生」は隣同志なので同じ会社だと思っていた。

「大正胞衣社」が「日本胞衣衛生」に社名変更したのかと思っていた。

しかし、別々な会社だった。

 

そもそも「胞衣」とはなんだ?

衣が付くので衣料関係の会社だと思っていた。

しかし全然違っていた。

 

「胞衣」は「えな」または「ほうい」と読む。

東京都福祉保健局のホームページに以下の記載があった。

胎盤 、臍帯( へその緒 )、卵膜及び 妊娠4箇月未満の死胎をいい 、「胎盤、臍帯( へその緒 )、卵膜 」は妊娠中絶 、分娩に関わらず母体より排出されたもの全てを指す。 

 

「大正胞衣社」ホームページより

大正年代創業の胞衣(胎盤等)、産汚物の取り扱い業者です。
東京都では、胞衣は生命体の一部との考えから、明治30年より胞衣等の取り扱いは、条例によって取り扱い業者を規制しています。
現在も都条例によって、胞衣の取り扱いには、「胞衣及び産汚物」取扱業の許可が必要となっています。
弊社は東京都の許可を受け、契約した地域での胞衣および産汚物の収集と処理を行っています。

 

2018年7月20日から9月21日に放送された清原果耶主演のNHKのドラマ「透明なゆりかご」でも「胞衣取扱業者」が出ていたそうだ。
このドラマのスタッフが「大正胞衣社」を取材に訪れたことがあるようだ。

2024年1月28日追記
今日テレビの番組欄を見ていたら、「透明なゆりかご」の再放送が今日から3夜連続で始まっていることを知った。
1月28日(日)
午前0:30 ~ 午前1:14(1)「命のかけら」
午前1:19 ~ 午前2:03(2)「母性ってなに」
午前2:03 ~ 午前2:47(3)「不機嫌な妊婦」
午前2:52 ~ 午前3:36(4)「産科危機」
1月29日(月)
午前0:25 ~ 午前1:09(5)「14歳の妊娠」
午前1:09 ~ 午前1:53(6)「いつか望んだとき」
午前1:58 ~ 午前2:42(7)「小さな手帳」
午前2:42 ~ 午前3:26(8)「妊婦たちの不安」
1月30日(火)
午前1:25 ~ 午前2:09(9)「透明な子」
午前2:14 ~ 午前3:02(10)「7日間の命」

町の小さな産婦人科医院で”命”を見つめてゆく物語。

20~30代の女性を中心に圧倒的な共感を呼んでいる、沖田×華さんの漫画作品をドラマ化。物語は幸せな出産ばかりでなく、中絶や死産といった産婦人科の“影”の部分にも向き合いながら、時に明るく、時に切なく、主人公たちの命への“祈り”にも似た想いをつむいでゆく。

【原作】沖田×華
【脚本】安達奈緒子
【音楽】清水靖晃
【主題歌】Chara 「せつないもの」

出演者・キャストほか
青田アオイ(清原果耶)
由比朋寛(瀬戸康史)
青田史香(酒井若菜)
町田真知子(マイコ)
町田陽介(葉山奨之)
望月紗也子(水川あさみ)
榊実江(原田美枝子)

そういえば、根津神社徳川家宣胞衣塚 付 胞衣塚碑(とくがわいえのぶえなづか つけたり えなづかひ)があったことを思い出した。

六代将軍家宣の胞衣を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重ねてある。
この根津神社の境内は、もと五代将軍綱吉の兄綱重(家光の第二子)の山手屋敷(別邸)で、綱重の長子家宣は寛文二年(1662)4月5日ここで生まれた。
胞衣とは、胎児(母体の中の子)を包んだ膜と胎盤をいう。われわれの祖先が、胞衣を大切に扱ったことは、各地の民間伝承にある。例えば、熊野では大石の下に納めたと伝えられる。関東では、家の床下や入口の敷居の下に埋めたといわれ、また屋敷の方角をみて埋めるという所もあった。
一方上流の階層では、胞衣塚を築くことが早くから行われた。愛知県の岡崎には、徳川家康の胞衣塚がある。
この胞衣は誕生の敷地内に納められた。徳川家の他のものとくらべ、形式が素朴であるなど、将軍の胞衣塚ながら庶民の民俗の理解の上で貴重なものである。
塚正面には、明治14年(1881)に建てられた「胞衣塚碑」があり、徳川家宣胞衣塚の由緒を伝えている。また、家宣の産湯の井戸と伝えられるものが、社務所の庭にある。
家宣が綱吉将軍の後継ぎとなり江戸城に入ると、屋敷跡に家宣の産土神氏神)である根津神社を移し、華麗な社殿が綱吉によって建てられた。