歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

山谷堀公園にいる今戸人形たち

山谷堀公園を歩いていたら、かわいい今戸人形たちがいた。

 

訪問日  2023年6月10、12、17日

訪問場所 東京都台東区浅草7

 

 今戸焼とは、江戸時代から明治時代を中心に、今戸やその周辺で焼かれてきた焼き物で、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していた。今戸焼職人は瓦や日常の生活道具などを製造販売して、庶民の需要に応えていた。
今戸焼の土人形は、江戸東京の代表的な郷土玩具で、今戸人形と呼ばれ親しまれたが、明治半ば頃には衰退してしまった。関東大震災 (1923) 後、今戸人形の伝統を引く製作者だった「尾張屋」金沢春吉 (1868~1944) の尽力によって一時復興したが、春吉の死後その動きも弱まった。現在では、受け継がれた型や製法を基に職人が製作を続けているが、周辺の都市化や震災・戦災などにより多くが区外へ移り、今戸に1軒を残すのみである。 台東区では 「今戸焼作り」の技術を区の生活文化財に指定し、人形や寺社の縁起物の製造をおこなっている職人を今戸焼の技術の継承者として認定している。

 

曇りの日と晴れた日に撮った写真が混在しているので、同じアングルのものがあるかもしれない。晴れた日には東京スカイツリーが上まで写っているが、曇りの日は下の方しか映っていないものもある。

 


 

人形が混在しているところもあるが、そのように飾られているので仕方ない。

鉄砲狐

正面を向いて台座の上に座っているこの狐は、台東区有形民俗文化財の型を基に復元したものです。顔を横に向けて座っているものや大小様々な狐の型から姿形が受け継がれており、今も稲荷神社の授与品として作られています。
江戸時代に稲荷勧請が流行り、今戸焼職人以外の人たちも内職として彩色をしている様子が 「今戸の狐」の噺に残されています。

踊り雀

台東区有形民俗文化財の原型を基に復元したものです。「雀百まで踊り忘れず」の諺や、おじいさんを踊りで和ませる雀が登場する「舌切りすずめ」 の昔話があります。 

 

座猫

 顔を横に向けて座っているこの猫は、台東区有形民俗文化財の型を基に復元したものです。大小様々な座猫や招き猫の人形の型が今も受け継がれており、このように顔を横に向けて座る猫の姿は、江戸時代の錦絵にも描かれています。

福助」 「お福」

台東区有形民俗文化財の型を基に復元したもので、夫婦にして飾られる縁起物です。 江戸時代、近くには江戸歌舞伎興隆の場となった浅草猿若町がありました。夫婦の会話に歌舞伎役者と今戸焼の「福助」が出てくる落語「今戸焼」は、江戸庶民の日常の機微を伝えています。

 

招き猫

顔を横に向けて手を挙げているこの猫は、道具として使われる招き猫で、本来は背中が開いており、底に灰を敷いて炭を置き、点火用の火種 をいけておくためのものでした。
招き猫人形の資料として、嘉永5年(1852) の藤岡屋日記「浅草観音猫の由来」と武江年表に、三社権現(現・浅草神社)鳥居の傍らで、老女が今戸焼の丸〆猫、招き猫を並べて商う旨が記されており、同年の歌川広重の錦絵「浄瑠璃町繁華の図」には、〆と書かれた提灯の下で招き猫の人形を手に持つ人物が描かれています。

 

河童

これは道具として使われる河童で、本来は背中が開いており、底に灰を敷いて炭を置き、点火用の火種をいけておくためのものでした。台東区の昔話には、隅田川の河童が縁起物の焼き物になったお話 「今戸のかっぱ」があります。

今戸橋方面から山谷堀公園を写したもの

 

今戸神社にある今戸焼発祥之地碑

台東区今戸一丁目五番二十二号 今戸神社

今戸焼とは現在の台東区今戸の地で焼かれてきた日用品の土器類・土人形類のことで、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していた。地元の今戸神社にある狛犬台座には宝暦二年(一七五二)に奉納した四十二名の陶工らの名が刻まれており、数多く軒を並べていたことが伺える。
今戸焼の起源は定かではないが、伝承では天正年間(一五七三~九一)に千葉氏の家臣が今戸辺りで焼き物を始めたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移って来たともいわれる。「今戸焼」の名としては十八世紀末頃から明らかに見られ、十八世紀前半頃に本格的な土器生産が始まったと思われる。隅田川沿岸はかつて瓦を含めた土製品の生産が盛んであったようで、瓦町の名や瓦焼が早くから知られていた。江戸時代の文献である『江戸名所図会』には瓦作りの挿絵がみられ、「隅田川長流図巻」(大英博物館所蔵)には 今戸焼の窯が描かれている。
近年の江戸遺跡の調査によって施釉土器、土人形や瓦等が多く出土し、そのなかには今戸焼職人の名が刻印されている土器・土人形、今戸の地名を印した瓦も見られ、隅田川沿岸の窯業との関連が注目されている。
関東大震災東京大空襲により職人が次々に区外へ移り、現在今戸には一軒のみが残り、伝統を伝える「口入れ狐」や「招き猫」などの人形が今でも製作されている。

平成十三年三月

台東区教育委員会